2005年07月

2005年07月24日
友人と遊んだときに、モスバーガーちりめん亭(ラーメン屋)の併設店舗がありました。

ということで、今回のような形態の併設店舗ははたして有効に機能するのか気になりました。

併設店舗で今まで比較的よく言われていたのが、相乗効果による期待です。たとえば、コンビニといった集客効果があり、ある程度若者向けである店舗は、ターゲットが似ており、さらに、コンビニには無いサービスを提供している場合に、相乗効果が期待できます。

最近では、パン屋さんなどが併設していたり、喫茶店が併設しているコンビニを見かけることがあります。こういった場合は、相乗効果やその期待が比較的よく現れていると考えられます。

また、銀行と証券の併設も、非常に厳しい規制があるようですが、一部では始まっているようです。

こうしたことも、併設店舗の効果を期待できるでしょう。

一方で、今回のようなハンバーガーとラーメンの併設というのはどうなのでしょうか。例えば、餃子専門店とラーメン専門店が併設するのであれば、意味はわかります。しかし、ハンバーガーとラーメンの併設では、あまり意味は無いように思うのです。ラーメンを食べたいと思っている人は、ハンバーガーの事は頭に無いでしょう。また、子供連れで親がラーメン、子供がハンバーガー、、、そういった組み合わせも考えにくいものがあります。

ぼくは、店舗を利用しながら上記のようなことがすぐ思いつきました。そして自分に再度質問してみました。
「あまりメリットが無さそうだから、併設店舗をしないか?」ということです。

その問いに僕は「否」と返しました。

つまり、日々のオペレーションコストや収益に大きな影響が無かったとしても、広告の効率化やオープン時の内装などについてのメリットがあれば、それもアリなのではないかと思ったのです。

もちろん、併設ゆえのデメリットも数多くあると思います。

「相乗効果」が期待できないにしても、そうした効率的な活動の積み重ねで十分にメリットを享受できるような気がしたのです。

その併設店は、頻繁に行く場所ではないので、今後も動向を知ることは出来ないと思いますが、今後、併設店については要注意で観察していきたいと思いました。



2005年07月23日
僕はペットとしての、動物が大好きです。とはいっても、一般的な動物なので、せいぜい小動物や犬、ネコぐらいです。
そもそも、食文化というのは各国によって大きく違っています、その国の常識で食用となっていないものでも、国や地域によっては食べるでしょうし、それを食べることを受け入れることができないにしても、それが文化だと思います。もちろん、共有できれば世界も広がるしすばらしいと思いますが。

さて、僕は食についてはあまり積極性はありません。そのため、珍味や珍しいものはほとんど食べたことがなく、また自分が慣れ親しんだもの以外の食べ物は、口に合わないことも多く、精神的な抵抗も大きくあります。

先日、友人に「犬を食べたことがあるか」について聞いてみました。

なんとその友人は、「ある」と答えたのです。
いろいろな話をしていたので、詳細についてはあまり聞くことができませんでしたが、どうやらおいしいということです。そしてとても高級なお肉だということでした。(外国で食べたということです)

僕自身は犬肉について考えたときに、積極的に食べたいとは思いません。しかし、興味はあります。ただし、鶏肉や豚肉、牛肉と同じように、肉になる過程を見るのは難しいと思います。

肉になる過程を見て、おいしそうと思えるのは魚ぐらいです。それ以外は、牛も豚も鳥も犬も肉になる過程を見ると、げんなりしてしまうと思います。

僕は、いままでの生活の中でペットは身近にはいませんでした。そのため、悪い意味で生命の大切さといった部分のことがわからない可能性もあります。それの延長として、犬食に嫌悪感がないのだとすれば、それは固定観念がないということで、幸せであると考える一方で、少し残念なことでもあります。

いぬかぁ。。ペットとしての犬を身近に感じていただけに、なんとも複雑な思いがします。

本日は以下を参考にさせていただきました。
NEWS@POO犬肉を、世界的な食べ物に!?
ウィキペディア犬食文化

stock_value at 11:00|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)食べ物 
2005年07月22日

頻繁ではありませんが、たまに間違い電話がかかってくることや、することがあります。
間違い電話をしたときも、受けたときもとても気分が悪くなるなるため、せめて受け答えは丁寧を目指しています。

本日も、見ず知らずの番号から電話がかかってきました。○○さんでしょうか?相手はビジネスマン風の話し方をしています。僕は、「イエ違いますが。」と答えました。

相手の人は普通に丁寧で、「そうですか。失礼しました。」といって電話を切りました。

今回の対応で、僕が丁寧に出来たのかは分かりません。しかし、向こうも申し訳ないと思っているでしょうし、その上で僕が横柄な態度を取る理由はありません。

これからも、なるべく丁寧な対応を心がけたいと思います。

2005年07月21日
先日、携帯の調子が悪いために、docomo ショップに行って携帯のテストをしてもらいました。

他者の携帯を使ったことが無いので、詳しいことは分かりませんが、docomo の場合は、調子が悪いときに、ドコモショップに持って行くと、機体の確認を行ってくれるのです。

僕は、運が悪いことに携帯電話はよくハズレを引きます。それは、使いにくい機種を購入するとかではなくて、単純に壊れやすい携帯に当たってしまうのです。

ただ、今までの回数を考えると、偶然というよりは僕自身の使い方が悪いようにも思えます。そのため、結構注意して使っているのですが、やっぱり壊れます。

過去に、sony / nec / fujitsu と 3 機種を使ったことがあります。今使っているのは、富士通ですが、そろそろ買い換えを考えています・・。

さて、それら3台の携帯ですが、それぞれ 1 回以上交換しています。ソニーは、ジョグダイアル(だったかな?) が調子悪くて、保証期間と言うこともあり、1度交換しました。
NEC の携帯も、調子が悪くて交換したら、それも壊れていたために、すぐに再交換。そして富士通の携帯も今回交換しました。

Docomo の場合、本体の保証期間は、1年なので保証期間内であれば、比較的すぐに交換に応じてくれます。とはいえ、壊れていない物を交換してくれるわけがありませんので、僕の場合はとにかく、問題のある機種ばかりなのです。

今回、電波の状況が常に悪く、携帯を使っていてどうも変だな。そう感じていました。ただ、そういった電波の状況についての問い合わせというのは、目に見えないことであり、個人的な理由が主だったりするため、お店の対応も非常にデリケートなのです。

そのため僕は、お店の人が「画面に表示される電波が2本でも通話やメールには支障がないですよ。おそらく、たまたま電波が悪く見えるだけで、通話やメールに実際の支障は出てないですよね?」と言った感じで、なだめられると考えていました。

電波が悪い旨を伝え、「個人的な感想である可能性もあるので、テストができるなら、それをしてもらえませんか?それで問題出てなければ、納得してそのまま使い続けますし。」そのようにお願いしました。

ドコモショップの人は、「かしこまりました。テストにお時間いただきますがよろしいでしょうか?」そのように言って、テストを了承してくれました。

どうせ異常は出ないだろうなぁ。そう考えて、テスト結果を聞きに再度ショップに来店しました。

僕は早速「テストどうでしたか?異常でませんでした?」と聞きました。
すると、「それが、テスト項目が5個ぐらいあるのですが、すべて NG だったんですよ」と言われてしまったのです。
僕は「ってことは何ですか。僕は今まで "半壊れ" の携帯を使ってたってことですか?」と言いました。
店員さんは「そうですねぇ。」としか言えませんでした。

結局、壊れていたことがハッキリしたので交換してもらえれば問題無いことを伝え、"また" 新しい携帯に交換となってしまいました。

そろそろ買い換えを考えていた時期だけに、ちょっと複雑な胸中です。

でも、やっぱり電波入らなかったのは壊れてたからだったんだなぁ。

2005年07月20日

この blog を1年間書いていて、少なからずトラックバックをしていますし、コメントも書いています。そして、トラックバックを貰うこともありますし、コメントを貰うこともあります。

以前、コメント欄かなにかで、僕はトラックバックをする際には、したことを示すために本文中に該当 blog に対し、リンクを張る旨の発言をした記憶があります。

そして、先日の記事を受けてですが、僕の書く blog は第一優先が僕自身です。そして将来読み返したときに、参照先の記事がわかりやすいと言うことは、僕自身がとても便利なのです。将来読み返したときに、「この記事を参照して、こういう感想を持つか」という
ことを、記事を通して感じることができます。

さて、ほとんどこないコメントやトラックバックですが、僕が行動するとおりとまでは言いませんが、ある程度まとめておきたいと思います。

これはあくまで、当 blog に対して、振る舞ってほしいことを記述するのではなく、僕がどのように振る舞うかについて書いています。

・コメントについて
コメントについては、すべて自由です。中傷や広告については削除することがあります。それ以外の名前等については、特に必要ありません。 livedoor のシステムとして必須なのかもしれませんが、適当に匿名で結構です。

中傷や広告の判断基準は僕の独断となってしまいますが、一度だけ中傷のコメントが入ったことがあり、それについては、初めて削除させて頂きました。そもそもそのときの記事が、そういったコメントが来ることをある程度予想していたこともあり、中傷であっても、削除するべきかについては、強く悩みましたが、結局削除させて貰いました。記事を続けるモチベーションへの影響もありますし。唯一それぐらいです。

・トラックバックについて
自分からリンクする必要は、「僕は」必要だと考えています。もちろん、それを相手に強制することではありません。リンクが必要な理由については、僕が記事を書くに当たり、どのような blog を参考にしたのか知りたいからです。

記事の関連性については、僕がトラックバックする場合も、トラックバックが来た場合も判断の基準が難しいところでもあります。
僕の場合、記事を書いてから、適当に参考にする blog を探し、記事の内容を修正することもあります。その場合は、トラックバックをするほど影響を受けているのか、疑問もあります。
とはいえ、僕がトラックバックを受けたときはとてもうれしいので、参考にした場合はできるだけトラックバックするようにします。
もちろん、広告の場合は削除します。

ということで、コメントもトラックバックもどんどん送りますのでご迷惑をおかけするかもしれませんが、よろしくお願いします。


本日は、以下のサイトにトラックバックしており、当記事を書くに当たり、多大に参考にさせて頂きました。
13Hz:『13Hzのコメント投稿とトラックバックのポリシー
絵文録ことのは:『トラックバックの有効な使い方を考える

2005年07月19日
当 blog を読んで頂いている方は、友人も多く、また全く面識の無い方も多くいます。記事書き方は、ある特定の読者を対象としていないので、ある程度は自由に読めると思いますし、一方では、対象とされる読者がハッキリしていないため、すべての記事があまり面白くないかもしれません。

さて、僕が blog を書き続ける理由は、もちろん過去からの惰性ということもありますし、それ以外にも知識をとりまとめたり、その年齢や立場において考えていることをまとめておく事を第一としています。それが優先されるために、読者をあまり意識していないことがあります。

つまり、blog の優先順位としては、
・自分
・読者
となるのです。もちろん、読者の中には、友人やそれ以外の人など、細分化したらもう少し分けられるとは思いますが、とりあえずひとくくりにします。

特に、優先順位について文章の内容が変わるようなことはありません。感じたことを感じたまま書きますし、誰かについて批判的なことを書く場合は、やや弱めて書くことにはなりますが、それを書くことを辞めたりはしません。

blog としての体裁は、優先順位としてはそうそう変わってくるものではありません。しかし、「取り上げるべき記事」については、この優先度に影響される可能性があります。友人と会っていてもネタがたくさん出てくるわけではありませんし、一人だからと言ってネタが無いわけでもありません。

自分自身が優先なので、将来自分が読み返したいことをネタとして優先的に取り上げています。

今までもそうでしたし、そしてこれからもそうなのですが、自分にとって将来、この blog の記事がとても有意義なナレッジとしての効果を果たしてくれることをとても強く期待しているのです。

そして、明日書く記事の、「トラックバックについて」にも続いていくのです。

2005年07月18日
僕の書く 個々の blog 記事のタイトルには、通常 "。" が付いています。
これに対して特に意味は無く、例えば記事をリンクするときなどに、付いていても、付いていなくても気にしません。

その程度で付けていました。

最近になって、改めてこの丸について考えて見ると、どうもタイトルには似つかわしくないような気がしてきました。
そうやって気にし始めると、僕の blog のタイトルも「こっそりと。」ということで丸がついています。個々の記事に比べると、意味合いが少し変わってきますが、これもまた不必要な気がしています。

さて、以下についてちょっと気になったのでまとめておきます
・丸をつける意味
・なぜつけるのか

丸をつける意味ですが、通常句点と言われるこの記号は、

>>文の終わりを示す「。」の記号。まる。→読点(とうてん)
>>[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]
Yahoo!辞書

と辞書には載っています。

上記以外にも固有名詞として句点を含めて表現することもあるようです。
その利用方法として、僕の blog タイトルが当てはまるのだと思います。

とは言え、僕は文章の終わりでないのにもかかわらず、丸をつけることには抵抗があります。それは意図的に丸をつけている場合ですが。
何も、日本語は正しく使え。といったことではありません。僕自身がその丸を一つ付けたがために、blog のタイトルや個々の記事に執拗なまでの愛着を持ち、それを押し付けることが怖いのです。

そうなるぐらいであれば、タイトルへの丸の有無については、フラットな姿勢を保ち、あっても無くても特に気にしないぐらいのスタイルで言いのではないかと考えています。

しかも、丸を付けることによって (僕の書く記事の内容も薄いのに) こだわりがあるように感じられます。それは僕にとってとても恥ずかしいことです。

さて、それでは、僕の blog 記事のタイトルにはほとんどの場合、この句点がつけられています。それはなぜか。

キーボードを使って日本語を入力する僕は、文章の終わりとして丸を打つことがクセになっています。メールなどの日本語入力がとても頻繁なので、丸や点を打つことは手が自然に行ってしまうのです。

そして、タイトルを考えるときは、特に丸の有無に付いては意識せずに、タイトルだけを考えます。今回の blog 記事のタイトルは、「タイトルの "。"」となっていますが、手は自然に最後に丸をつけようとするのです。

さすがに、記号で終わる今回のタイトルの場合、手は自然に丸を打ちませんでしたが。もちろん、意図的につけていないということもありますし。

上記のように考えるからこそ、今後も「丸を付けないように」意識していくことはありませんが、丸についての僕の考えはこのようになっているのです。