2005年08月

2005年08月24日


あぁ。ああ" 一度書いたのが消えました。もうだめだぁ。ってことで文章が大幅に少なくなると思いますがモチベーションは上がりません。

さて、本日は飲みがありました。
その友人とはここ最近会ってないので9月の最初ぐらいに予定を空けてもらおうとメールをしました。
相手は、水曜日がお休みということで、また来週の水曜日は休みが取れるかわからないとの事でした。そのため、大変申し訳ないのですが、急遽、今日会うことになったのです。

そしてもう一人の友人にメール。ちょうどいいタイミングだったということで、来てもらえました。3人で卓球のできるお店に。

酔った状態でのスポーツはやっぱり最悪でした。集中できないし単純なミスもするし。
僕たちのグループとはまったく関係ないのですが、卓球の経験があるのか、恐ろしいほどに卓球をしている人がいました。やっぱりカッコイイ所を見せたいのでしょうか?

ということで、こんな感じでした。

今日は友人のところにトラックバックしています。
日々の生活…




stock_value at 18:50|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)飲み 
2005年08月23日
21日は出勤してしまいました。今まで自営業で日曜日や祝日に出勤することについては、なにも考えなかったのですが、会社員として日曜日に出勤するのはとてもつらいことです。

この辺が会社員と、自分でやっている場合の違いなんでしょうね。

さて、僕の働いている会社では基本的に休日出勤はしないことになっています。それはあたりまえのことなのですが、企業側からとしては、

・費用( 給料・光熱費 ) の削減
・健康被害を発生させないため

社員側としては
・平日で仕事が終わりきらない場合に休日出勤 >> 代休無し
・代休を取る場合、平日にメンバーがそろわなくなるので打ち合わせ等ができない

といった双方の理由から、ほとんど休日作業は行いません。

また、お客様から休日作業を望まれることがありますが、極力平日作業をお願いするのです。

僕などは、ある意味でとても不思議なのですが、平日の夜作業もほとんどありません。企業はお願いすれば、意外と平日就業時間内で作業できるのかもしれません。よくわかりませんが・・。
あと、僕のサポートしている製品がインストール10分、再起動無し、起動中のアプリに影響無しという、とっても簡単であることからも、終業時間以外に作業をする理由も無いのかもしれません。サービスとまらないですしね。


ちなみに、僕が自営業をしたときは、できるだけ影響の少ない、利用者の少ない時間帯でなおかつ、相手が立会いをするのに問題とならない時間を選択することになると思います。土曜日もしくは、平日 20-21 時ぐらいになると思います。

さて、そんなできるだけ休日出勤をしないスタンスなのですが、初めて休日作業をしてしまいました。もちろん、休日の作業とならないように、営業さんを含めかなりの努力をしていただきました。にもかかわらず今回のようになってしまったのです。

結局、やはり相手が大手というか顧客サービスを提供している場合には、簡単な製品であっても、休日作業が必要ということですね。
僕の働いている会社は、勤務体系は比較的しっかりしているので、もちろん、代休を1日もらいました。

しかし、もう1年以上働いていると、土日は休むような体になっています。そうした中での休日作業は精神的に大変でした。


stock_value at 11:23|この記事のURLComments(0)TrackBack(0)仕事。 
2005年08月22日
僕は、旅行が嫌いなこともありますし、都内に住んでいることもありますし、、、ということで無人駅を利用したことがありません。また、無人になる駅というのもあまり聞きません。

最近は自動改札があるので、夜になると、ほぼ無人になることは駅によってはあります。僕の毎日のように利用する駅は、夜遅くになると、A改札は無人になり駅員に用があるときはB改札を利用するように、案内がでています。

先日、僕が利用した駅は、夜のみ完全に無人駅になるということでした。

確かに、一日を通した利用客は少ないようでしたし、駅の規模も非常に小さなものでした。改札には suica の機械が一つだけ。自動改札のようなゲートも非常に簡易なものでした。

どのような基準によって無人駅となるのかわかりません。一日の利用客数なのか、利用金額なのか電車の本数、職員の通勤手段の有無・・・。色々基準は考えられるのですが、どうなのでしょうか。

無人駅。とてもめずらしいものでした。

2005年08月21日
詳細については詳しく知りません。最初にそれを断っておきます。
僕の身近なところに有料トイレは存在していないのですが、新宿駅に有料トイレがあります。もちろん、利用したことも無く、価格や設備についてはまったく知りません。
また使ってみたいとも思いません。

有料トイレの価値については、とりあえず考えないことにして、男性がその有料トイレを利用するのは、かなり限られた場面に限定されると思います。

なぜならば、最悪の場合男性は "立ちション" があるのです。これの道徳的な部分はあるにしても、漏らすこととの比較であれば立ちションもどうしても、、という場面があるかもしれません。

さらに、無料トイレを利用する場合、男性の場合は設備のどこにも触ることがありません。つまり衛生面があまりよくない無料のトイレだったとしても、問題になるのは臭いぐらいなものなのです。

すなわち、そうした事を考えてもなお、有料のトイレを使うのは難しい選択のように思います。したがって、男性用の有料トイレは個室が主になるのではないでしょうか。

手軽にできるオシッコと違い、大の方はなかなかできません。外で済ますなんて問題外です。そして無料のトイレの場合でも、肌が触れる部分があり、衛生面からもそれをイヤがる人だっているでしょう。

その場合には、高くない範囲、もしくは切羽詰ってる具合に応じて有料トイレを利用する可能性が出てきます。利用者が高くないと感じる範囲の支出を行い、代わりにきれいなトイレ、そして( おそらく ) 空いているトイレを利用できるようになります。

これは 大 ならではの支出ではないでしょうか。

つまり、男性の場合は有料トイレの利用者のほとんどは 大 をしているのだと僕は考えます。


2005年08月20日
アクションゲームが僕はスキです。
しかし、僕はゲームをほとんどやりません。家にもゲーム機はありませんし、パソコンゲームも買いません。

時間や金銭的な負担のことも心配ですが、それ以上に楽しいと思えるゲームが無いのです。また、すぐ飽きてしまうのも僕の悪いところです。

友人の家に遊びにいったときに、ゲーム機がありました。基本的にゲームが嫌いではない僕は、イヤむしろゲームが好きな僕は、「なにかやろうよ」と誘ったのです。

相手は一人でするゲームを中心に持っていたようで、一緒にやるようなゲームはほとんど無いよ。といっていました。そのなかで、ぷよぷよと三国無双を持っていたのです。

詳しいゲームの内容は知りませんでしたが、アクションゲームであること、三国志に基づいたゲームであることを、僕は何故か知っていました。そのため、じゃあその三国無双をしよう。という流れで一緒にプレイすることになったのです。

ゲームが好きな僕ですが、まったく下手です。もちろん、初めてプレイするのゲームなのでうまいわけは無いのですが、上達もしません。なので僕はせっかく友人が育てていた最強キャラを使ったのに、逃げて隠れるような遊び方しかできませんでした。

それもまた面白いんです。

アクションゲームのいいところは、いづれ書くであろう記事に譲るとして、三国無双はとっても面白いゲームです。お勧めですよ。
TV を2台つないでプレイできたらもっといいのになぁ・・。

2005年08月19日
友人の家(男)に遊びに行ったときに、たわいもない会話をしていました。

そのときに、今日の午前中は何してたの?という会話をしたのです。
「今日は銀座で買い物してたよ」という友達。

「そうなんだー。彼女と?」と僕が聞いたら、「一人で」とのことです。

一人で銀座に行って何するんだろう?僕がそういった表情をしていたのか、友達は続けて答えてくれました。
「化粧水買いに行ってた」と。

化粧水。。。。女性が使うイメージがあったのですが、男性が使うなんてあまり考えたことがありません。そして、友人の使うそれはとても高いということなんです。

化粧水を使うことによって肌の潤いなどがぜんぜん違うということでした。そしてそれは化粧水の値段によってもある程度は左右されると。

せっかくなのでほっぺたを触らせてもらいました。

「ぜんぜん違う」という程ではないと思いましたが、確かにすべすべ感は違いました。そしてそれは、高価な化粧水によって得られる効果だとすれば、その価値については個人差があるかと思いますが、ある程度の価格の化粧水によってそこまでの効果が得られるのであれば、結構いいなと思いました。

何であってもそうなのですが、本気で手入れをすると色々大変です。しかし、程々のメンテナンスであればそう大変ではありません。手間も金銭的支出もです。
ただし、本当に手入れをする人から見れば、ほどほどの手入れをするぐらいであれば、何もしないのと同じだと考えるかもしれません。そしてそういったことは多くあります。

化粧水、とても興味深い出来事でした。

2005年08月18日


先日の「2005年08月08日:盲目の方へ道案内」 を盲目の友人に読んでもらい感想をもらいました。

一応、今回のような試みは初めてであり、今後も試行錯誤してノウハウを得ていく中でとても重要な記事となるかもしれません。あくまでも今回の文章主体はその友人なのでそのまま掲載させていただきます。
なお、メールでもらった文章なので、割愛や若干の編集が加わっていることをあらかじめ報告しておきます。

感想を頂きましてありがとうございました。

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改めて読んでみました。当事者だからというわけじゃないけど、とてもいい文章だね。すばらしい。ずいぶん調べたのかな、それとも貴君の洞察力がそれだけ秀でているということなのかな。いずれにせよ、ふつうの人はここまではおそらく考えてはいないだろうと思いました。

表現とか単語とかもよく熟慮され選択されているし、特につっこむような個所もない。

しいていうならば「盲目」ということばは、わたし自身は実はちょっと抵抗があります。「盲」の字が、たとえば啓蒙の「蒙」の字などと同様に差別的という説があるからなんですよね。ただ「盲目」は、NHKやほかのメディアでもふつうに使われているし、書籍のタイトルとかにも使われているから、ちょっと判断は難しい。それに、これには社会的な側面のほかに、貴君が指摘しているとおり、医学的な側面があるんだよね。

で、まず社会的な側面として、
「盲目のピアニスト」とか『盲目の科学者』なんてあるから、このことばが社会のどういう立場の人にとっても、日本では(日本語だから「日本では…」というのは変だね)もっとも抵抗なく受け入れられているのだと思います。わたしが一番、うーん、ちょっと表現が難しいのですが、感銘を受けたのはここかなと思います。つまり、ふつうならば「全盲」を多用するところなんだろうけど「盲目」という単語を主に使っていることで、全体に、なんとなく丸みを帯びた文章に感じられます。これが正直、以外でした。blogの記事で、表現面で「よく考えているなあ」と感じた一つの理由はそれ。

- 中略 -

話を戻します。「盲目」のほかに「目が見えない」という状態(あるいはそういう状態の人)を表すために「全盲」「盲人」「視覚障害(者・児)」などがあります。最終的には、その人の好みの問題になってしまうのですけれども「障害」ということばをいやがる人が多いのも事実ですね。これは、当事者の場合と周囲の人の場合とがあります。

- 中略 -

長くなりますがm(_ _)m、次に医学的側面です。

視覚障害ほど十人十色なものはないといわれます。わたしの場合、もともと弱視で、そこから神経系の障害で視力と視野がなくなっていったため(わずかに光覚はあります)、外見だけでは視覚障害者にみられないことが多いです。なまなましい話でなんですが、眼球そのものが残っていて、眼球運動もまだできるため、白杖を常用しているにもかかわらず、何年もいっしょに山登りをしている人や、大学の後輩などからも弱視だと信じられていたということがよくあります。

- 中略 -

つまり、全盲とか盲目とかいうときに、どこまでの範囲なのかの線引きが難しいわけです。視覚障害者スポーツなどでは、公平さが求められるために、光さえ全く感じられない人と、光だけは感じられるという人を一応区別しますが、医学的には両者とも全盲という扱いです。光だけが見えても、生活上、ほとんど意味をもたないからです。それに、光が見えるといっても、夜と昼の区別がつく程度か、あるいはペンライトの点灯しているのがわかるのか、千差万別で(環境の影響やそのときのコンディションにもよる)、測定しようがないのが現実です。

さらに、これに弱視が加わると、指標などないも同然となります。ランドルト環(Cの字)検査で調べられる視力は、単純にどこまで小さいものが見えるかという測定でしかありません。視覚はそれほど単純な器官ではなく、水晶体だけでもカメラのレンズの球面の複雑さを考えてもらえたら想像してもらえると思うけど、視覚の程度を分類すること自体が不可能にさえ思えるほどです。

弱視の人の中には、中央は見えるが周辺が見えないとか、逆に周辺は見えるが中央が見えないとか、遠視、近視、乱視、さらには人によって見えやすい色や明るさやかたちや大きさ、それらの組み合わせの仕方やバランスやコントラストなどがファクターとして存在します。そして、それらは、当人の主訴に頼らざるを得ない(客観的には医者でも完璧な判断はできない)という問題があります。もっとも、それは他の障害や病気でも同様ですが、視覚障害の場合、結局その人の見え方がその人にしかわからない以上、より顕著であるといえます。

- 中略 -

あと、本題の道案内の仕方についての感想ですが、syo君のやり方が適切だったと感じました。その人の知識やら経験などは、赤の他人にはもちろん見当もつかないわけですから、聞かれた範囲で答えるしかないです。どこまでを知りたいのか、何をしてほしいかを表明することは、道を聞く側の責任でしょうね。

が、その人が外出時に白杖を持つということは、仮に多少視力がある、もしくはいくらかでも地理に明るいとしても、暗黙のうちに「目的地への誘導、または充分な説明を必要としている」ということだと解釈もできます。たとえばわたしの場合、どんなに慣れた道でも迷うことはありますし、知識や経験が充分ではなくて(あるいは充分な場合でさえ)、必ずしも役に立つとは限らないことが多いです。誤解のないように書いておきますが、もちろんいつでも誘導してほしいという意味ではありませんし、人の時間を割いて何かをしてもらうことを当たり前だと考えている人は少ないはずです。だから(視覚障害者への道案内だけでなく)助ける側も自分を犠牲にしてまでやる必要はなくて、その人のそのときできる範囲内で協力をしてあげたらいいのだとわたしは思います。

道案内も、白杖をもち人に道を尋ねている以上は、それが自力ではできないのだと解釈できますが、もし時間がなくてしかも行く方角が違うのであれば、やはり今回のように方向と具体的な目印を伝えれば十分です。仮にその人が首尾良く駅に到達できなかったとしても、視覚障害者がそうしていろいろな人や環境から少しずつヒントを得ながら自分で歩くということは、非常にいい勉強になります。誘導されてしまうと、逆に何の記憶も残らずその場だけのことになってしまいがちです。

- 後略 -

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