2005年07月29日
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僕は、ゲームをほとんどしません。ゲームセンターにはたまに行きますが、それでも僕の中では (家での) ゲームをしないという意識もあり、とりあえずゲームはしません。と、言っています。
それに、ちゃんとゲームをしている人から見れば、週に1回以下ぐらいのペースでゲームセンターでのプレイ時間が30分以下の僕など、ゲームをしていないのと一緒です。あまり失礼になるのもイヤですし、僕は僕の状況を見ることが出来ていると思っています。

さて、そんな僕ですが、ゲームに否定的な感情はありません。むしろ発想や感受性、精神的な豊かさがゲームによって育まれると考えています。仮想的な現実体験をそこに求めてもいいですし、現実とは違う体験をゲームに求めるのもおもしろい事だと思います。

そして、僕のイメージするゲームというのは、一人で簡潔することが多く、コミュニケーションからは大きく離れていました。唯一ゲームから得られない部分が、そうしたコミュニケーションだと考えていたのです。

さて、最近はゲームをする友人に話を聞いたり、プレイを見せて貰う機会が増えてきました。
総じて言えるのが、ゲームによってコミュニケーションが広がっていることです。もちろん、中途半端なプレーヤーではなく、ちゃんとゲームばかりをしているからこそ、コミュニケーションが広がっているのかもしれません。大多数の人は、やはり一人でプレイし、一人で完結している可能性もあります。

さて、僕が今回書こうと思っているのは、そうしたゲームの事ではなく、単純にシステムがすごい。ということです。

僕はゲームに対し、3つの視点を持っています。
・ビジネスモデル
・システム的要素
・ゲーム性
です。

ビジネスモデルは、かつては非常に単純でした。CD などのソフトを売り上げることによって収益となっていたのです。
しかし、今回僕が見た FF はネットワークゲームでした。ソフトを購入することによって売り上げがたちますが、それ以外にもユーザは様々なコストを負担しています。ネットワークにつなげるための費用や、毎月のプレイ料金等です。

僕はゲームソフトは買い切りの商品だと考えていました。そして今でもそのように考えています。中古という市場が存在しますし、購入したソフトを持って、友人の所有するハード機でも遊べます。もちろん、ネットワークに接続されている必要もありません。

しかし、 FF は違うのです。ソフトの購入費の他に、プレイ料金を毎月支払います。詳細は分かりませんが、そんなに安い金額でもないでしょう。こうしたネットワークゲームの黎明期は、こうした毎月課金のビジネスは成功しにくい、そう言われていたこともあり、僕もそのように感じる部分もあり、現在のビジネスモデルがどのようになっているのかとても興味がありました。そして王道を行くような課金の方法で成功していることが、とてもすごいことだと思いました。

さて、続いてシステム的要素です。
これは僕も一応は、そうした業界に就いていることもありどのような仕組みにしているのか非常に興味があります。同時にプレイしているユーザは何万人といるでしょう。そうしたユーザがすべてリアルタイムに画面上に表示されているのです。

急に落ちたとしても、落ちた場所から再会出来ると言うし、よくできていると思います。

どういったデータを端末に送信するのか、どのような情報をどのような仕組みで格納しているのか。そしてあのレスポンスを出すには、どういった工夫をしているのか。とても興味深く思いました。

ゲーム性はとても単純で、面白いのか。ということです。もちろん、僕の感性ではすでに時代遅れの可能性も高く、正しい評価はできません。しかし、アイテムをオークションに出せたり、武器の合成?があったり、アイテムの交換やチャット、毎月のシナリオの増加?などなど、ユーザを飽きさせない工夫が沢山あるのです。

僕がそのゲームをやりたいか。と言われれば確かにやらないかもしれません。しかし、そうしたゲームを好きになる人がいるという事実はとても納得出来るのです。

異常な、という表現を使いたくなるほど、ゲームがとてもよくできているのです。



stock_value at 10:37│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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