2005年04月23日
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僕は近所づきあいが苦手であり、あまり好きではありません。そういうと友人からは「っぽいよね」といわれます。

僕は、いわゆる「そういうこと」の大部分が苦手です。
・古くからあるような中華料理屋さん
・おじいちゃん、おばあちゃんとの交流
・近所づきあい
・肉じゃがのような家庭の味

上記については、機会があれば記事にしたいと思います。

さて、近所づきあいが苦手ということと、おじいちゃん・おばあちゃんとの交流というのは、僕にとっては近いのですが、もちろん別々のことです。( ご近所さんは常におじいちゃん・おばあちゃんではありませんし )

さて、近所づきあいが苦手ということですが、僕はこれが苦手だということは意識の中にあったのですが、その "何故" の部分を明確に説明できませんでした。

というのも、会話が苦手なのかといわれれば、そんなことありません。隣の人と会話するのは全く問題ありませんし、年配の方でも、年下の学生のような人でも、僕は比較的問題なく会話ができます。

大学に入ってから初心者に PC を教えるようなバイトをしていたこともあり、初心者として質問してくる大半の人は、ある程度の年配者であったことを考えると、そうした人との会話を苦手としていたら、問題があるでしょう。そういったことで僕は会話方法のトレーニングを積んでいたのです。

そのため、近所さんということで、挨拶をしたり会話をするのは全然苦になりません。

また、近所の人と大きく交流することもありません。僕は家族と一緒に住んでいますし、近所づきあいはすべて親がやります。それはある意味で当然のことですし。

つまり、僕としては近所づきあいの「いい部分」のみを今は体験していることになります。にもかかわらず、すでに苦手だと意識しているのです。

では、なぜ苦手なのか。

今僕が考えていることは、苦手の原因は「僕の意識とあまりにもかけ離れているから」だと思っています。

僕はずいぶん昔から考え方の中心には「インセンティブ」があります。それは宗教を持っている方は倫理観や、行動の中心には宗教があると思います。僕は宗教を信仰しているわけではないですが、行動の中心や倫理観として「インセンティブ」を持っています。

インセンティブ中心の考え方は、高校生のころから漠然と持っていたのですが、大学に入ってからかなり確定してきました。

僕のことを知っている友人や、blog の印象からでは、僕の考え方の中心には「お金」が大きいと思われるかもしれませんが、実際にはインセンティブ中心なのです。

金銭的な考え方だけでは実際に説明できないことも多くあり、たとえばボランティアに参加する人のことを考えると、金銭的なことでは全く説明ができません。しかし、インセンティブを基に考えると、それは十分説明ができます。

そして、実際ほとんどはインセンティブを考えると、だいたいその通りに人々は行動することになります。と僕は感じています。

しかし、近所づきあいの場合はインセンティブだけでは説明がつかないことが本当に多いのです。損得も少しは影響しているでしょうし、インセンティブも影響していると思います。そして好き・嫌いという感情も影響していると思いますし、その人の生い立ちや背景までもが影響しているのです。

つまり僕は、そうした今までに無い、そして大きく違っている考え方にとまどい、そうしたコミュニティに対して、苦手な意識を持っているのです。


stock_value at 00:59│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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