2005年06月
2005年06月30日
そろそろデザインの変更を考えています。
で、"変更" ということを考えたときに、広義の部分で色々思いついたので、僕自身の今後のためにも、軽くメモしておきます。
僕が blog を書くときには当然ながら、色々な物や事に影響を受けています。そして、記事を書く前には、一応最近の記事をざっと眺めてからネタを思い出したり、書くことを決めたり、書く内容について修正したりしています。
トップページに数日分の記事が表示されていますが、これはそうした最近の記事を眺める事によるものです。
すなわち、僕の今までの記事は、絶対とは言わないまでも、ある程度デザインにも影響されており、デザイン+記事内容 = 当該記事 と言うことも、言えなくはないのです。
そうしたことから、ある程度どのようなデザインだったのか。というのを残しておくことは大切だと思っています。
おそらく、現在のトップページをキャプチャーしておいて、保管というのが解決方法になるかと思いますが、デザインの変更についてそんなことを思いました。
さて、もう一つ変更で気になることがあります。
それは、blog の利用について。です。
現在は、ここで記述している内容は、好き勝手なことを書いていますし、あまり制約を受けていません。僕の友人には公開していることもありますし、また今読んでいなくても、その友人が、将来読むかもしれません。そして僕も将来読み返えします。
そうしたことをすべて考えたときに、恥ずかしくないような記事を書くことはとても大切だと思っています。
そのスタンスを変えるつもりはありませんし、おそらく変えられません。しかし、僕の立場は、blog を書き始めてからも、どんどん変化しています。
書き始め初期
・大学1年生(学校入学したて)
↓
・株を始める&自営業
↓
・社会人1年生
↓
・社会人2年生
↓
・(これから)起業?
そして、これら立場の移り変わりの中で、果たしてコンセプト1つでカバーしきれるのか。と言うことなのです。
今までの中で、共通していることはあくまでプライベートな部分を強調して blog を書いてきたということです。しかし、今でもそうですが、生活の部分を強調するということは、その背景にある、僕の立場も意識されることになります。
つまり、今の記事を読む場合に、「社会人2年生である」 という書き手(僕)を意識した上で、様々な感想を持つことになると思うのですが、その意識のまま、大学生の頃に書いた記事を読むと、混乱することになるのではないか。という不安があるのです。
僕は、この blog のタイトルやサブタイトルには固執しません。しかし、それも含めたものが、blog であると言えると考えています。そうなると、容易に変更してしまうと、今までの記事は、少しずつ意図がずれてくるようにも考えられます。
僕の性格なので、気にしないとは思いますが、ちょっとした懸念として考えました。
で、"変更" ということを考えたときに、広義の部分で色々思いついたので、僕自身の今後のためにも、軽くメモしておきます。
僕が blog を書くときには当然ながら、色々な物や事に影響を受けています。そして、記事を書く前には、一応最近の記事をざっと眺めてからネタを思い出したり、書くことを決めたり、書く内容について修正したりしています。
トップページに数日分の記事が表示されていますが、これはそうした最近の記事を眺める事によるものです。
すなわち、僕の今までの記事は、絶対とは言わないまでも、ある程度デザインにも影響されており、デザイン+記事内容 = 当該記事 と言うことも、言えなくはないのです。
そうしたことから、ある程度どのようなデザインだったのか。というのを残しておくことは大切だと思っています。
おそらく、現在のトップページをキャプチャーしておいて、保管というのが解決方法になるかと思いますが、デザインの変更についてそんなことを思いました。
さて、もう一つ変更で気になることがあります。
それは、blog の利用について。です。
現在は、ここで記述している内容は、好き勝手なことを書いていますし、あまり制約を受けていません。僕の友人には公開していることもありますし、また今読んでいなくても、その友人が、将来読むかもしれません。そして僕も将来読み返えします。
そうしたことをすべて考えたときに、恥ずかしくないような記事を書くことはとても大切だと思っています。
そのスタンスを変えるつもりはありませんし、おそらく変えられません。しかし、僕の立場は、blog を書き始めてからも、どんどん変化しています。
書き始め初期
・大学1年生(学校入学したて)
↓
・株を始める&自営業
↓
・社会人1年生
↓
・社会人2年生
↓
・(これから)起業?
そして、これら立場の移り変わりの中で、果たしてコンセプト1つでカバーしきれるのか。と言うことなのです。
今までの中で、共通していることはあくまでプライベートな部分を強調して blog を書いてきたということです。しかし、今でもそうですが、生活の部分を強調するということは、その背景にある、僕の立場も意識されることになります。
つまり、今の記事を読む場合に、「社会人2年生である」 という書き手(僕)を意識した上で、様々な感想を持つことになると思うのですが、その意識のまま、大学生の頃に書いた記事を読むと、混乱することになるのではないか。という不安があるのです。
僕は、この blog のタイトルやサブタイトルには固執しません。しかし、それも含めたものが、blog であると言えると考えています。そうなると、容易に変更してしまうと、今までの記事は、少しずつ意図がずれてくるようにも考えられます。
僕の性格なので、気にしないとは思いますが、ちょっとした懸念として考えました。
2005年06月29日
僕はエアコンよりも扇風機が好きです。それは省エネであることやエアコンよりも自然であることなどからです。
でも最近は、扇風機を部屋に置くとインテリア的にも見栄えがしないし、場所を取るのもイヤだなぁと思っていました。また、エアコンを使わないのももったいないですし。
僕の働いている、会社のサーバールームは、少し前まで空調が全く効いていませんでした。そのときに、扇風機を会社が購入して、それでサーバーを冷やしていたのですが、そのときに見かけた扇風機が、今まで僕が知っていた扇風機とは形が全く違うのです。首も振りませんし、そもそも首がありませんし。
そして、その製品をネットで調べてみました。
そうすると、どうやら扇風機という製品ではなく、サーキュレーターというらしいのです。
そしてサーキュレーターの特徴は、空気の直進性ということです。そのため、エアコンの効率を上げたり、空気を循環させる事によって、 "空気がこもる" ということを防ぐというのです。
デザインもいいですし、威力も強そうなのでとても気に入ってしまいました。僕の部屋は特に、空気の流れが非常に悪くなっています。冬はすきま風が吹きますし、夏は風が一切流れません。そのため、窓を開けておいても、夏は暑いですし、冬は窓を閉めても部屋は寒いのです。
サーキュレーターの利用によって、冬は特に変化が無いと思いますが、夏はきっと快適になるのではないかと想像します。
まだ購入していませんが、きっといい物だろうと期待は膨らむのです。
でも最近は、扇風機を部屋に置くとインテリア的にも見栄えがしないし、場所を取るのもイヤだなぁと思っていました。また、エアコンを使わないのももったいないですし。
僕の働いている、会社のサーバールームは、少し前まで空調が全く効いていませんでした。そのときに、扇風機を会社が購入して、それでサーバーを冷やしていたのですが、そのときに見かけた扇風機が、今まで僕が知っていた扇風機とは形が全く違うのです。首も振りませんし、そもそも首がありませんし。
そして、その製品をネットで調べてみました。
そうすると、どうやら扇風機という製品ではなく、サーキュレーターというらしいのです。
そしてサーキュレーターの特徴は、空気の直進性ということです。そのため、エアコンの効率を上げたり、空気を循環させる事によって、 "空気がこもる" ということを防ぐというのです。
デザインもいいですし、威力も強そうなのでとても気に入ってしまいました。僕の部屋は特に、空気の流れが非常に悪くなっています。冬はすきま風が吹きますし、夏は風が一切流れません。そのため、窓を開けておいても、夏は暑いですし、冬は窓を閉めても部屋は寒いのです。
サーキュレーターの利用によって、冬は特に変化が無いと思いますが、夏はきっと快適になるのではないかと想像します。
まだ購入していませんが、きっといい物だろうと期待は膨らむのです。
2005年06月28日
2005年06月27日
先日、またセレブさんと会いました。今回は "たまたま" 短期間で会うことになりましたが、お互いにとって他意はありません。たまたまです。
セレブさんはやはり生活の質が全然違います。
相手が特にその差を匂わせないこともあって、特には感じることはありません。しかし、細かいところでその差を感じるのです。
結構な多人数で、食事&お酒をしました。
そこはとても高級そうなお店で、とても満足でした。
その後、カラオケに行くということになって、店員さんに、カラオケ店の場所を聞いていました。銀座ということもあって、結構ごちゃごちゃしているので、説明がややこしい感じでした。最後まで話を聞かずに、「んじゃ、そこまで送ってよ」となったのです。
僕は、今まで自分でできることは自分でやる。また、自分でやるための努力は最大限に行う。ということを信じていました。
いとも簡単に、場所を案内してもらうという発想はとてもすごいことだと思いました。そしてお店の人も、「はい。私が責任を持ってご案内いたします。」となったのです。びっくりしました。
サービスの質がとても高いのです。もちろん、この高さのサービスを受けるには、おそらく僕の金銭感覚が根底から考え直すような、金額が必要なのだとは思います。しかし、こうしたとても高いサービスを受けることや、それを僕も見習って提供できるようになるのは、とても大切なことだと思いました。
とは言え、案内までがサービスに含まれるのか。というのは確かに疑問でもあります。しかし、それは僕のような "せせこましい" 人が考えるのであって、そういうのが関係ないサービスもあるということですね。
やっぱり自分とは違う人に出会うと、色々と勉強させられます。
セレブさんはやはり生活の質が全然違います。
相手が特にその差を匂わせないこともあって、特には感じることはありません。しかし、細かいところでその差を感じるのです。
結構な多人数で、食事&お酒をしました。
そこはとても高級そうなお店で、とても満足でした。
その後、カラオケに行くということになって、店員さんに、カラオケ店の場所を聞いていました。銀座ということもあって、結構ごちゃごちゃしているので、説明がややこしい感じでした。最後まで話を聞かずに、「んじゃ、そこまで送ってよ」となったのです。
僕は、今まで自分でできることは自分でやる。また、自分でやるための努力は最大限に行う。ということを信じていました。
いとも簡単に、場所を案内してもらうという発想はとてもすごいことだと思いました。そしてお店の人も、「はい。私が責任を持ってご案内いたします。」となったのです。びっくりしました。
サービスの質がとても高いのです。もちろん、この高さのサービスを受けるには、おそらく僕の金銭感覚が根底から考え直すような、金額が必要なのだとは思います。しかし、こうしたとても高いサービスを受けることや、それを僕も見習って提供できるようになるのは、とても大切なことだと思いました。
とは言え、案内までがサービスに含まれるのか。というのは確かに疑問でもあります。しかし、それは僕のような "せせこましい" 人が考えるのであって、そういうのが関係ないサービスもあるということですね。
やっぱり自分とは違う人に出会うと、色々と勉強させられます。
2005年06月26日
僕はカツラに対しては、フラットです。
カツラをつけるのはかっこ悪いとも、カッコイイとも思いません。それはメガネとコンタクトと同じように、個人の好みや似合う度合いによるものだと思います。そして僕はメガネとコンタクトを併用するのもまたベストだと考えていますし、カツラについては、つけないというのが、僕の考えです。
カツラというのは、非常に微妙なものです。あるレベルのクオリティ以下のカツラになると、すぐにバレてしまうのです。そしてカツラは洋服やアクセサリーと違い、つけていることをアピールするものではなく、こっそりと身につけるものです。
僕は、決してカツラに敏感な方ではありません。見抜くこともあまりできませんし、街中で気づくことも非常に少ないです。
しかし、そんな僕でもすぐに分かってしまう時もあります。こういうときに、僕はとても気を使うのです。もちろん、髪の話題に・・・とか、風が・・・といったありきたりのことは、特に気にしません。
一番気にするのは、相手の意図なのです。バレバレということは、ある意味オープンにしているとも考えられます。カツラをアクセサリーの一部として考え、身につけていることをアピールすることによってカツラの存在意味がある。そのように考えているのかもしれません。この場合は、バレバレであっても、特に大きな問題はありません。
一方で、バレバレなのに、本人には自覚が無い場合。これが問題なのです。鏡の前に立てば、どのように装着されているのか見ることができます。もちろん、途中で気づかれるようなハプニングが起きた場合は別です。しかし、すぐに分かる場合は、鏡で自分を見たときに、自分ですでに気づくのではないでしょうか。
そして、ばれているにも関わらず、周りに "気づいていない" という態度を期待するのは、どうも僕にはできません。もちろん、あえて指摘するまでもありませんが、目はどうしてもそこを注目してしまいます。
さらに、僕自身に問題がある場合があります。それは僕がカツラを疑った場合に、本当にそうか。ということです。カツラではないのに、カツラの疑念を持った場合に、僕はそれを確かめる手段がありません。そのときに取る行動は、結局カツラのことには触れないとなるのです。僕は、前述したようにカツラを見分ける自信がないので、カツラかなぁ。と疑ったところで信頼性はとても低いものです。この場合は、相手にとってとても失礼になってしまいます。
結局、カツラというのはとても奥が深いものなのです。
カツラをつけるのはかっこ悪いとも、カッコイイとも思いません。それはメガネとコンタクトと同じように、個人の好みや似合う度合いによるものだと思います。そして僕はメガネとコンタクトを併用するのもまたベストだと考えていますし、カツラについては、つけないというのが、僕の考えです。
カツラというのは、非常に微妙なものです。あるレベルのクオリティ以下のカツラになると、すぐにバレてしまうのです。そしてカツラは洋服やアクセサリーと違い、つけていることをアピールするものではなく、こっそりと身につけるものです。
僕は、決してカツラに敏感な方ではありません。見抜くこともあまりできませんし、街中で気づくことも非常に少ないです。
しかし、そんな僕でもすぐに分かってしまう時もあります。こういうときに、僕はとても気を使うのです。もちろん、髪の話題に・・・とか、風が・・・といったありきたりのことは、特に気にしません。
一番気にするのは、相手の意図なのです。バレバレということは、ある意味オープンにしているとも考えられます。カツラをアクセサリーの一部として考え、身につけていることをアピールすることによってカツラの存在意味がある。そのように考えているのかもしれません。この場合は、バレバレであっても、特に大きな問題はありません。
一方で、バレバレなのに、本人には自覚が無い場合。これが問題なのです。鏡の前に立てば、どのように装着されているのか見ることができます。もちろん、途中で気づかれるようなハプニングが起きた場合は別です。しかし、すぐに分かる場合は、鏡で自分を見たときに、自分ですでに気づくのではないでしょうか。
そして、ばれているにも関わらず、周りに "気づいていない" という態度を期待するのは、どうも僕にはできません。もちろん、あえて指摘するまでもありませんが、目はどうしてもそこを注目してしまいます。
さらに、僕自身に問題がある場合があります。それは僕がカツラを疑った場合に、本当にそうか。ということです。カツラではないのに、カツラの疑念を持った場合に、僕はそれを確かめる手段がありません。そのときに取る行動は、結局カツラのことには触れないとなるのです。僕は、前述したようにカツラを見分ける自信がないので、カツラかなぁ。と疑ったところで信頼性はとても低いものです。この場合は、相手にとってとても失礼になってしまいます。
結局、カツラというのはとても奥が深いものなのです。
2005年06月25日
おかげさまで、当 blog も先日 2005/06/20 を持ちまして、1年間となりました。過去数年間も、同様に書いているので、こうして記録をつけ始めてからは、5年ぐらいになるのですが、なにはともあれ、 livedoor blog にて1年間続くというのは大変うれしいことです。
1年間の間に様々なことがありました。去年の今ごろの記事を読みますと、新人としての苦悩がとても読み取ることができます。おかげで、今年の新人には、少しでも僕と同じような体験をさせないように頑張ることができます。( とはいっても、やっぱり先輩は偉そうにしたいものなので、防ぐのは難しいですが )
最近は、1回あたりの文章量も増加していますので、そういったことを考えると、1年間の成果というのが目に見えて出てきているのかもしれません。
なにはともあれ、当 blog を読んで頂いている方、コメントを下さる方、メールを下さる方、友人、その他 僕の生活に関わる全ての方々に感謝したいと思います。
そして今後もできる限りつづけていきたいと思っています。
※そろそろ僕が blog を書き始めた頃に考えていたスケジュールに無い部分に入りつつあります。いろいろと興味深いです。
1年間の間に様々なことがありました。去年の今ごろの記事を読みますと、新人としての苦悩がとても読み取ることができます。おかげで、今年の新人には、少しでも僕と同じような体験をさせないように頑張ることができます。( とはいっても、やっぱり先輩は偉そうにしたいものなので、防ぐのは難しいですが )
最近は、1回あたりの文章量も増加していますので、そういったことを考えると、1年間の成果というのが目に見えて出てきているのかもしれません。
なにはともあれ、当 blog を読んで頂いている方、コメントを下さる方、メールを下さる方、友人、その他 僕の生活に関わる全ての方々に感謝したいと思います。
そして今後もできる限りつづけていきたいと思っています。
※そろそろ僕が blog を書き始めた頃に考えていたスケジュールに無い部分に入りつつあります。いろいろと興味深いです。
2005年06月24日
本日は、同期の友人と一緒にのみに行きました。飲むといっても、先日にも blog に書きましたが、ビールがあまり飲めない時期ということもあり、そういう意味では相手に対して申し訳ない気持ちもあります。
僕は、株が好きなので友人にも勧めます。ただし、本当に買い始めるのは 1%もいません。いろいろな人に、色々と声をかけているのですが、なかなか株を始めるというのは抵抗があるようです。
結局、株について勉強するのであれば、僕たちぐらいの年齢を逃すと大変なことになると思います。
リスクが限定的になるのは、とても大きなメリットなのです。
友人は、株を始めると言っていました。もちろん、僕の影響もあるかもしれませんが、社会情勢や時事に強くなるには、株を始めることが一番かもしれません。
友人は次のようなことを言っていました。
・株では損をするつもりでやる。
・無理のないお金の範囲で。
とても基本的なことですが、確実に愚直に守ってもらいたいと思います。無理のないお金の範囲で、ということですが、すでに結構なお金が出てきたのにはビックリデした。それなら、その金額が貯まる前に少しずつ株やればいいのに。と僕は考えてしまうので。
損については、実際に損失を目の前にすると、精神的な負担は想像を絶するものがあります。それについては、体験しないとなんとも言えません。普段の生活の中で、これと似たような精神的状況が無いので、たとえることも難しいのです。この損失時の精神的負担を乗り越えるのも大切なことです。
そして、それを乗り越えた後は、リスクについての考え方が大きくは変化することになると思います。
友人は、まだ証券会社に口座を開設していないということです。株を買うことと、証券会社に口座を開くことは基本的には別だと考えるべきです。
株をすぐ買う必要がなくても、口座は開いておくべきですし、買うために口座を開いたのであれば、逆にすぐ買うのは控えるべきです。株というのはとても怖いものなので、精神的な余裕は損益に結びつきます。
なにも急ぐことは無いので、ゆっくり買えばいいでしょう。
また、友人は blog を書き始めたと言っていました。まだ公開してくれていませんが、いずれは URL を教えてもらうつもりです。株を通して、心と生活が豊かになることを願ってやみません。そしてそれは僕に対する言葉でもあります。
僕は、株が好きなので友人にも勧めます。ただし、本当に買い始めるのは 1%もいません。いろいろな人に、色々と声をかけているのですが、なかなか株を始めるというのは抵抗があるようです。
結局、株について勉強するのであれば、僕たちぐらいの年齢を逃すと大変なことになると思います。
リスクが限定的になるのは、とても大きなメリットなのです。
友人は、株を始めると言っていました。もちろん、僕の影響もあるかもしれませんが、社会情勢や時事に強くなるには、株を始めることが一番かもしれません。
友人は次のようなことを言っていました。
・株では損をするつもりでやる。
・無理のないお金の範囲で。
とても基本的なことですが、確実に愚直に守ってもらいたいと思います。無理のないお金の範囲で、ということですが、すでに結構なお金が出てきたのにはビックリデした。それなら、その金額が貯まる前に少しずつ株やればいいのに。と僕は考えてしまうので。
損については、実際に損失を目の前にすると、精神的な負担は想像を絶するものがあります。それについては、体験しないとなんとも言えません。普段の生活の中で、これと似たような精神的状況が無いので、たとえることも難しいのです。この損失時の精神的負担を乗り越えるのも大切なことです。
そして、それを乗り越えた後は、リスクについての考え方が大きくは変化することになると思います。
友人は、まだ証券会社に口座を開設していないということです。株を買うことと、証券会社に口座を開くことは基本的には別だと考えるべきです。
株をすぐ買う必要がなくても、口座は開いておくべきですし、買うために口座を開いたのであれば、逆にすぐ買うのは控えるべきです。株というのはとても怖いものなので、精神的な余裕は損益に結びつきます。
なにも急ぐことは無いので、ゆっくり買えばいいでしょう。
また、友人は blog を書き始めたと言っていました。まだ公開してくれていませんが、いずれは URL を教えてもらうつもりです。株を通して、心と生活が豊かになることを願ってやみません。そしてそれは僕に対する言葉でもあります。