2005年08月
2005年08月31日
先日、友人から紹介された人がいます。そしてその人と軽く会話をしたのですが、「仕事はどんなことをしているのですか?」と僕は聞きました。
その人は、金貸しです。そう答えたのです。
僕が職業を聞く意図は、その人の価値観や考え方を知るためでした。そして相手が金融関係と (おそらく) 当り障りの無い一般的な方法で答え無かったのは、それだけで相手の考え方を示唆しているとも考えられます。
僕は考え方が一般的ではありません。そのため、合わない人とはぜんぜん合わないので、考え方が似てない人の場合は、できるだけ当り障りの無いように会話をします。例えば、大手企業に勤めていれば、どうしても指示・監督するような立場としての意見や、考え方が中心となりますし、現場の前線に立って働くような人であれば、指示する側の立場の人はどれほど無知なのか。といったことを聞かされます。
学生であれば、理想などが中心となりがちですし、たくさんお金を稼いでいる人は、それなりに発言が厳しくなるような気がします。
さて、そうした中で「金貸しです。」そう答えたその人のはどのような意図があったのでしょうか。
・そのままの通り金貸し。この場合は、表現がぴったりだから使用した。
・金融関係の仕事。金貸しという分類に区分されるため使用した。
「金貸し」という表現が容易に使える理由として、職業が市民権を得てきているという背景があると思います。株や金融といった経済的な活動が少しずつ一般的となり、今までは金貸しといえば非常にグレーな職業であったのが、比較的クリーンなイメージやクールなイメージとして定着してきたために、前述のような発言に至ったのだと思います。
一方で、職業を金融関係と言うのと、金貸しと表現するのでは、大きなバイアスがかかってしまいます。バイアスを意図的にかけたのであれば、その理由というのは非常に気になるところです。
そして詳細の職業について聞いてみたところ、クレジット関連の仕事だと言うことです。で、どうやらカード会社で比較的有名どころで働いているようでした。
金貸しと聞いてイメージするのは、やはりサラ金のような状態ではないでしょうか?もしくは、広い範囲では銀行の融資関係の仕事もそのように思うかもしれません。
今回の場合は、会社が金貸しというだけであり、本人が直接そういった行為をしているようには思えません( 詳細は知りませんが )。つまり今回の発言には、金貸しに対する何らかの思いがあり、その言葉を使ったとも考えられます。
一般的なイメージと自分のイメージに乖離(かいり) がある場合は注意が必要です。
その人は、金貸しです。そう答えたのです。
僕が職業を聞く意図は、その人の価値観や考え方を知るためでした。そして相手が金融関係と (おそらく) 当り障りの無い一般的な方法で答え無かったのは、それだけで相手の考え方を示唆しているとも考えられます。
僕は考え方が一般的ではありません。そのため、合わない人とはぜんぜん合わないので、考え方が似てない人の場合は、できるだけ当り障りの無いように会話をします。例えば、大手企業に勤めていれば、どうしても指示・監督するような立場としての意見や、考え方が中心となりますし、現場の前線に立って働くような人であれば、指示する側の立場の人はどれほど無知なのか。といったことを聞かされます。
学生であれば、理想などが中心となりがちですし、たくさんお金を稼いでいる人は、それなりに発言が厳しくなるような気がします。
さて、そうした中で「金貸しです。」そう答えたその人のはどのような意図があったのでしょうか。
・そのままの通り金貸し。この場合は、表現がぴったりだから使用した。
・金融関係の仕事。金貸しという分類に区分されるため使用した。
「金貸し」という表現が容易に使える理由として、職業が市民権を得てきているという背景があると思います。株や金融といった経済的な活動が少しずつ一般的となり、今までは金貸しといえば非常にグレーな職業であったのが、比較的クリーンなイメージやクールなイメージとして定着してきたために、前述のような発言に至ったのだと思います。
一方で、職業を金融関係と言うのと、金貸しと表現するのでは、大きなバイアスがかかってしまいます。バイアスを意図的にかけたのであれば、その理由というのは非常に気になるところです。
そして詳細の職業について聞いてみたところ、クレジット関連の仕事だと言うことです。で、どうやらカード会社で比較的有名どころで働いているようでした。
金貸しと聞いてイメージするのは、やはりサラ金のような状態ではないでしょうか?もしくは、広い範囲では銀行の融資関係の仕事もそのように思うかもしれません。
今回の場合は、会社が金貸しというだけであり、本人が直接そういった行為をしているようには思えません( 詳細は知りませんが )。つまり今回の発言には、金貸しに対する何らかの思いがあり、その言葉を使ったとも考えられます。
一般的なイメージと自分のイメージに乖離(かいり) がある場合は注意が必要です。
2005年08月30日
2005年08月29日
僕は熱い食べ物が大好きです。暖かい食べ物ではなくて、熱い食べ物です。そして熱い食べ物をできるだけ、熱気を逃がさないようにするテクニックが数多くあります。
以下を読んでいただき、僕がどの程度熱いものに情熱を注いでいるか、理解いただく一助となればと思います。
まず、"熱い食べ物を熱いまま" というタイトルについて、やや補足をしておく必要があります。
タイトルのままなのですが、あえて表現する意味については、やはり、最初は熱い料理も、「食事の後半になると冷めてくる」という大前提があるのです。つまり、後半になっても料理がさめないように、少しでも努力することが必要なのです。僕の場合、極端なことを言ってしまえば、料理の前半は熱くておいしい料理も、後半は冷めて不味いなんてことにもなりかねません。
僕のテクニックを使用することによって、少しでも熱い状態が維持されるのです。そして逆にいうと、熱い状態を維持するためには、努力が必要なのです。
大前提となる基本テクニックは以下のとおりです。
●外気に触れる面積を極力減らす
●口の中を冷やさない
●食器にも気を配る
●食材の温度差も意識する
まず、どのような料理であっても、上記を注意することによって、かなり料理が冷めることを防げます。
上記の場合、食器と食材については、自己努力による改良が難しいところですが、外気及び口の中については、努力次第で大幅に改善が可能です。
・外気に触れる面積を極力減らす
については、単純に気温のほうが料理の温度よりも低いので、この面積が大きければ大きいほど、どんどん熱が奪われます。特に熱が奪われやすい料理、チャーハンとかグラタンなどについては、十分に気をつける必要があります。
また、夏場であればエアコンの噴出し口付近や、扇風機の風があたるような場所は絶対に避ける必要があります。
注意すべき料理:グラタン、チャーハン、ラーメン
・口の中を冷やさない
これも重要です。食事中にお水を飲みたくなることはよくあります。しかし、熱い料理を食べている中で、口の中が水によって冷やされてしまうと、熱い料理を楽しむことができません。そのため、水を飲むことは極力避ける必要があります。
さらに、熱い料理を食べているときは、それを集中して食べることが望ましいです。例えばお新香やサラダのような物を食べると、やはり口の中の温度は下げられてしまいます。したがって、口の中を冷やさないようにすることはとても重要です。さらに、最初の一口目を食べるときは、口の中が冷たい可能性があるので、お茶などで口の中を温めるのも効果があるでしょう。
注意すべき料理:グラタン、ラーメン、麻婆豆腐
・食器にも気を配る
これもまた重要です。食器の場合ですが、あまり大きなお皿の場合は、外気に触れる面積も大きくなりますし、また食器に熱を奪われることになります。これも見落としがちですが、注意しなければなりません。
簡単に回避する方法としては、食器を暖めることになります。ポットからお湯を食器にかければ、短時間で簡単に食器を暖めることができます。
注意すべき料理:焼き魚、生姜焼き、オムライス、卵焼き、スープ
●食材の温度差も意識する
見落としてはならないのが、食材の温度差です。煮込んであるような料理は、均等に温度が分布しているので問題ないのですが、薬味としてネギをのせたり、するような料理があります。このとき、薬味が常温である場合に料理が全体的に冷えてしまうのです。
また、ラーメンの場合はメンマやチャーシューが上に乗っています。この温度も常温であることが多いので、食事を冷めさせる大きな要因となってしまいます。さらに、外気に触れる面積を増大させることにもなります。
回避手段は、最初にすべて食べ終えてしまうことです。
注意すべき料理:うどん、お好み焼き(マヨネーズ)、ラーメン
結局のところ、熱い料理を、できるだけ維持しながら食べる理由はありません。ただそれがスキだからです。
そして、その結果として色々な創意工夫が生まれることとなりました。
同士がいることを期待して・・。
以下を読んでいただき、僕がどの程度熱いものに情熱を注いでいるか、理解いただく一助となればと思います。
まず、"熱い食べ物を熱いまま" というタイトルについて、やや補足をしておく必要があります。
タイトルのままなのですが、あえて表現する意味については、やはり、最初は熱い料理も、「食事の後半になると冷めてくる」という大前提があるのです。つまり、後半になっても料理がさめないように、少しでも努力することが必要なのです。僕の場合、極端なことを言ってしまえば、料理の前半は熱くておいしい料理も、後半は冷めて不味いなんてことにもなりかねません。
僕のテクニックを使用することによって、少しでも熱い状態が維持されるのです。そして逆にいうと、熱い状態を維持するためには、努力が必要なのです。
大前提となる基本テクニックは以下のとおりです。
●外気に触れる面積を極力減らす
●口の中を冷やさない
●食器にも気を配る
●食材の温度差も意識する
まず、どのような料理であっても、上記を注意することによって、かなり料理が冷めることを防げます。
上記の場合、食器と食材については、自己努力による改良が難しいところですが、外気及び口の中については、努力次第で大幅に改善が可能です。
・外気に触れる面積を極力減らす
については、単純に気温のほうが料理の温度よりも低いので、この面積が大きければ大きいほど、どんどん熱が奪われます。特に熱が奪われやすい料理、チャーハンとかグラタンなどについては、十分に気をつける必要があります。
また、夏場であればエアコンの噴出し口付近や、扇風機の風があたるような場所は絶対に避ける必要があります。
注意すべき料理:グラタン、チャーハン、ラーメン
・口の中を冷やさない
これも重要です。食事中にお水を飲みたくなることはよくあります。しかし、熱い料理を食べている中で、口の中が水によって冷やされてしまうと、熱い料理を楽しむことができません。そのため、水を飲むことは極力避ける必要があります。
さらに、熱い料理を食べているときは、それを集中して食べることが望ましいです。例えばお新香やサラダのような物を食べると、やはり口の中の温度は下げられてしまいます。したがって、口の中を冷やさないようにすることはとても重要です。さらに、最初の一口目を食べるときは、口の中が冷たい可能性があるので、お茶などで口の中を温めるのも効果があるでしょう。
注意すべき料理:グラタン、ラーメン、麻婆豆腐
・食器にも気を配る
これもまた重要です。食器の場合ですが、あまり大きなお皿の場合は、外気に触れる面積も大きくなりますし、また食器に熱を奪われることになります。これも見落としがちですが、注意しなければなりません。
簡単に回避する方法としては、食器を暖めることになります。ポットからお湯を食器にかければ、短時間で簡単に食器を暖めることができます。
注意すべき料理:焼き魚、生姜焼き、オムライス、卵焼き、スープ
●食材の温度差も意識する
見落としてはならないのが、食材の温度差です。煮込んであるような料理は、均等に温度が分布しているので問題ないのですが、薬味としてネギをのせたり、するような料理があります。このとき、薬味が常温である場合に料理が全体的に冷えてしまうのです。
また、ラーメンの場合はメンマやチャーシューが上に乗っています。この温度も常温であることが多いので、食事を冷めさせる大きな要因となってしまいます。さらに、外気に触れる面積を増大させることにもなります。
回避手段は、最初にすべて食べ終えてしまうことです。
注意すべき料理:うどん、お好み焼き(マヨネーズ)、ラーメン
結局のところ、熱い料理を、できるだけ維持しながら食べる理由はありません。ただそれがスキだからです。
そして、その結果として色々な創意工夫が生まれることとなりました。
同士がいることを期待して・・。
2005年08月28日
仕事ではメールを良く使います。書く量はそんなでも無いのですが、読む量はかなり多いです。一日に50-100通ぐらいでしょうか?
そんなメールの書き出しは、ほぼすべて「お疲れ様です」から始まっています。
メールの「お疲れ様です」については、比較的、否定論が多いようですが、僕も確かに不要だと思います。
僕の場合、お客に出すメールはともかくとして、社内連絡用のメールは、いきなり用件から始まってほしいと考えます。いちいちお疲れ様です。という文字を読むことさえ、処理量によっては面倒です。
この場合は、別の言葉によって代替されていても、それを読むことになってしまうためあまり意味がありません。ちょっとぐらい唐突でも、そのまま初めてもらいたいと思います。
幸いにも、僕は来年ぐらいにビジネスやるつもりなんで、少ない社員(1-2名?)と話合って、上記ルールを決めたいと思います。
まあ、不便なのも知ってほしいからメールの処理が追いつかなくなるほどに、受信数が増えてからルールを策定するのもありだとは思いますけど。
唐突に話を切り出しにくいというのは分かるんですが、暗黙のルールにしちゃえば
問題なさそうですしね。
そんなメールの書き出しは、ほぼすべて「お疲れ様です」から始まっています。
メールの「お疲れ様です」については、比較的、否定論が多いようですが、僕も確かに不要だと思います。
僕の場合、お客に出すメールはともかくとして、社内連絡用のメールは、いきなり用件から始まってほしいと考えます。いちいちお疲れ様です。という文字を読むことさえ、処理量によっては面倒です。
この場合は、別の言葉によって代替されていても、それを読むことになってしまうためあまり意味がありません。ちょっとぐらい唐突でも、そのまま初めてもらいたいと思います。
幸いにも、僕は来年ぐらいにビジネスやるつもりなんで、少ない社員(1-2名?)と話合って、上記ルールを決めたいと思います。
まあ、不便なのも知ってほしいからメールの処理が追いつかなくなるほどに、受信数が増えてからルールを策定するのもありだとは思いますけど。
唐突に話を切り出しにくいというのは分かるんですが、暗黙のルールにしちゃえば
問題なさそうですしね。
2005年08月27日
以前にも絶対書いた記憶があるのですが、見つからなかったので書いておきます。
僕は blog の記事は、ほぼ必ず「ですます体」で書きます。それには理由があってですます体の方が、文章がやわらかく感じるからです。blog を読み返したときに、である体だとどうも違和感を感じてしまいます。
そういった理由から僕はですます調を使っています。
さて、先日紹介した友人の blog が「である体」で書いているのです。普段の性格を知っていますし、会話や語彙もある程度知っています。ある程度その人を知っている状態から blog を読むとまた違う一面を感じ取ることができます。そしてである体もまた印象をもつのに重要な要素です。
その友人の場合、会話の内容と blog での内容はギャップがあります。別にいい意味も悪い意味もありません。会ったときには、仕事の話や友達の話をしています。そのときの会話は当然口語なので文章の雰囲気とはまた違います。
そして見過ごすことができないのが、鉄道の話が多いということです。かれこれ5-6年の付き合いがある中で、電車のことを知ったのはついつい最近です。少なくとも学校時代にはまったく言ってませんでした。。。。うーん。
log はまだ書き始めて間もないようですが、( とはいってもすでに2ヶ月も続いていますが・・ ) これからも頑張ってほしいと思います。
そして僕も、ですます体でこれからも頑張ります。
僕は blog の記事は、ほぼ必ず「ですます体」で書きます。それには理由があってですます体の方が、文章がやわらかく感じるからです。blog を読み返したときに、である体だとどうも違和感を感じてしまいます。
そういった理由から僕はですます調を使っています。
さて、先日紹介した友人の blog が「である体」で書いているのです。普段の性格を知っていますし、会話や語彙もある程度知っています。ある程度その人を知っている状態から blog を読むとまた違う一面を感じ取ることができます。そしてである体もまた印象をもつのに重要な要素です。
その友人の場合、会話の内容と blog での内容はギャップがあります。別にいい意味も悪い意味もありません。会ったときには、仕事の話や友達の話をしています。そのときの会話は当然口語なので文章の雰囲気とはまた違います。
そして見過ごすことができないのが、鉄道の話が多いということです。かれこれ5-6年の付き合いがある中で、電車のことを知ったのはついつい最近です。少なくとも学校時代にはまったく言ってませんでした。。。。うーん。
log はまだ書き始めて間もないようですが、( とはいってもすでに2ヶ月も続いていますが・・ ) これからも頑張ってほしいと思います。
そして僕も、ですます体でこれからも頑張ります。
2005年08月26日
今までに無いタイプの人と出会いました。新しい概念を設ける必要があるかもしれません。
このような書き方をすると、一部に誤解されてしまいそうなので、少しだけ背景を書いておきます。
同じ会社の人なのですが、少しの間だけかかわることになりました。そして人間性としてはとても面白い人ですし、若いので発想も柔軟だと、普段の会話の中での印象です。
ちょうどいい機会なのでお酒を少しだけ飲みました。
メンバーはどうですか?といったごくごく普通の会話をしているのですが、そういった会話を続けていると、少しずつ僕の頭の中に「???」が浮かんできました。
その「?」の理由は、相手の言動がすべて「守り」に感じたからです。この場合の守りの同意語として、保守的、あいまい、理想といった言葉を僕は連想しています。
具体的な事はちょっと避けさせてもらいますが、たとえば、「もっとメンバーと積極的に交流すればいいんじゃないですか?仲良くなったほうが仕事もやりやすいと思いますよ?」といった質問をすれば、
「別に仲良くなるのは簡単だけど、そんなことはするつもりないし。」となるのです。できないわけではなく、やらないだけだと。
そして「職場はメンバーの交流が活発なほうがいい」と言うのです。
僕の考え方では、僕自身が交流するかどうかを決定するのは、まず自分にとってのメリットを考えます。メリットがある場合は、交流しますし、無ければ交流しません。さらに、職場のメンバーの交流が活発なほうが僕にとってメリットがあるなら、そのように行動します。理想とか計画といった考え方は、この場合あまり持たず、全体としてベストが僕にとってのベストであり、それを目指す場合に、僕のとるべき行動を考えるのです。
今までにも、言うことは大きく、行動はまったくできない人はたくさんいました。ただしそういった人は、プライベートな部分でも、それが強く出ていることがほとんどだったので、深い交流をしたことがありませんでした。今回のように、お酒を飲んだりして、かなり深い部分を聞かないと、そういった性格を見ることができない人ははじめてだったのです。
だからこそ、普段の姿からのギャップがあり戸惑っています。
もちろん、守り、保守的、あいまい、理想主義といったのが悪い事だとは思いません。しかも、その部分は僕には欠如している所なので、いい意味で補完することができます。
しかし、本人はそのことに自覚はなく、保守的では無いという認識をもっています。そして、なぜか保守的は恥ずかしいことだと思っているようです。確かにイメージはやや悪いかもしれませんが、その人の考え方が結果的にそうなっているだけなので、仕方の無いことです。
そして、ある程度時間をかけて、そのような保守的なイメージをその人に抱いてしまったため、あらゆる言動がやっぱり保守的のように思えてきます。
発展途上にありがちだと僕は思っていますが、自分の意見を持たずに多面的な意見を聞くと、すべての考え方に感銘を受けることになり、自分の意見をさらにもてなくなってしまいます。一つの意見がすべての方向から賛同を受けるとしたら、それはやっぱり保守的、理想、あいまいな意見です。
上記について、大きく外れていなければ、きっと目指す先は管理職だと思います。
このままの発想で、それができるのでしょうか?とても不思議です。
そして、若い年代にもかかわらず、ここまで守りの発想を持つ、今までの生活環境がとても気になります。もうじき会うことも少なくなってしまいますが、せっかくなのでもう少し探ってみたい気がします。
このような書き方をすると、一部に誤解されてしまいそうなので、少しだけ背景を書いておきます。
同じ会社の人なのですが、少しの間だけかかわることになりました。そして人間性としてはとても面白い人ですし、若いので発想も柔軟だと、普段の会話の中での印象です。
ちょうどいい機会なのでお酒を少しだけ飲みました。
メンバーはどうですか?といったごくごく普通の会話をしているのですが、そういった会話を続けていると、少しずつ僕の頭の中に「???」が浮かんできました。
その「?」の理由は、相手の言動がすべて「守り」に感じたからです。この場合の守りの同意語として、保守的、あいまい、理想といった言葉を僕は連想しています。
具体的な事はちょっと避けさせてもらいますが、たとえば、「もっとメンバーと積極的に交流すればいいんじゃないですか?仲良くなったほうが仕事もやりやすいと思いますよ?」といった質問をすれば、
「別に仲良くなるのは簡単だけど、そんなことはするつもりないし。」となるのです。できないわけではなく、やらないだけだと。
そして「職場はメンバーの交流が活発なほうがいい」と言うのです。
僕の考え方では、僕自身が交流するかどうかを決定するのは、まず自分にとってのメリットを考えます。メリットがある場合は、交流しますし、無ければ交流しません。さらに、職場のメンバーの交流が活発なほうが僕にとってメリットがあるなら、そのように行動します。理想とか計画といった考え方は、この場合あまり持たず、全体としてベストが僕にとってのベストであり、それを目指す場合に、僕のとるべき行動を考えるのです。
今までにも、言うことは大きく、行動はまったくできない人はたくさんいました。ただしそういった人は、プライベートな部分でも、それが強く出ていることがほとんどだったので、深い交流をしたことがありませんでした。今回のように、お酒を飲んだりして、かなり深い部分を聞かないと、そういった性格を見ることができない人ははじめてだったのです。
だからこそ、普段の姿からのギャップがあり戸惑っています。
もちろん、守り、保守的、あいまい、理想主義といったのが悪い事だとは思いません。しかも、その部分は僕には欠如している所なので、いい意味で補完することができます。
しかし、本人はそのことに自覚はなく、保守的では無いという認識をもっています。そして、なぜか保守的は恥ずかしいことだと思っているようです。確かにイメージはやや悪いかもしれませんが、その人の考え方が結果的にそうなっているだけなので、仕方の無いことです。
そして、ある程度時間をかけて、そのような保守的なイメージをその人に抱いてしまったため、あらゆる言動がやっぱり保守的のように思えてきます。
発展途上にありがちだと僕は思っていますが、自分の意見を持たずに多面的な意見を聞くと、すべての考え方に感銘を受けることになり、自分の意見をさらにもてなくなってしまいます。一つの意見がすべての方向から賛同を受けるとしたら、それはやっぱり保守的、理想、あいまいな意見です。
上記について、大きく外れていなければ、きっと目指す先は管理職だと思います。
このままの発想で、それができるのでしょうか?とても不思議です。
そして、若い年代にもかかわらず、ここまで守りの発想を持つ、今までの生活環境がとても気になります。もうじき会うことも少なくなってしまいますが、せっかくなのでもう少し探ってみたい気がします。
2005年08月25日
まもなく選挙が行われます。今年で25歳なので、今まで4〜5回の投票を行っています。もちろん、今まで棄権したことも無く、毎回必ず投票をしています。
投票は、僕の場合まず政党を考えます。個人的によっぽど投票したい人が選挙に出ていない限りは、まず政党です。少しぐらい言ってることに共感できなくても、政党を中心に考えています。拮抗する2大政党で政権が動けば面白いんですけどね・・。
ただし都議選などでは、候補者が多いので人とか街頭演説の内容で決めます。
と、まあどのように意思決定しているのかは、コロコロ変わるので簡単に書く程度にし、選挙の楽しみ方という部分について書きたいと思います。
表現は適切ではないと思いますが、選挙は一種の娯楽にも思えます。投票活動は自分の意思表明をする大切な行動ですし、投票活動の結果として少しずつ社会に変化をもたらすかもしれません。
しかしそんな使命とか重要さは特に考えなくても、自分が投票した人が受かっているのか、落ちてしまったのか、そしてテレビで連日報道されるような有名人・知っている人の当落はどうなのか。さらに、落ちると思っていた人が受かったり、その逆があったりと、ヘタなドラマなどよりもずっと面白いのです。
さらに、立候補している人は人生や生活がかかっているので、そうした人たちを左右できる可能性があるのは、とても興味深いことです。
そうした理由から、僕は選挙が好きなのです。
さて、選挙の醍醐味は、やはり「結果」です。僕は、自分が投票した人の当落はそんなに気になりません。しかし、具体的に何かをするわけではありませんが、応援している人の当落や政党ごとの議席数の増減、落選者の弁などとても面白いと思います。
選挙は通常、日曜日に行われます。そして開票が20時ぐらいなのですが、テレビでは速報として19時ぐらいからすでに選挙関連の番組が始まります。
テレビが開始したころには、色々と今回の選挙の見所や予想などが飛び交い独特の雰囲気を出しています。このころよりビールを片手にゆっくりと飲みながら開票情報を見るのがすきなのです。
今まで選挙があったときは、なるべく早く帰宅し、ビール片手にテレビを見ています。やっぱり選挙は面白い。