2007年07月
2007年07月17日
打ち水大作戦今年は本当に忙しくて、こういう事を考える余裕が全くありません。
ということで、とりあえず程度ですが記事にしたいと思います。
休日があれば、そのときには身近なところで実践しようと思います。
水は雨水とかの貯めてあるのがいいんですよね。
ということで、とりあえず程度ですが記事にしたいと思います。
休日があれば、そのときには身近なところで実践しようと思います。
水は雨水とかの貯めてあるのがいいんですよね。
2007年07月16日
大きな案件の仕事で、シスコのスイッチとアライドのスイッチが導入されていました。両方とも操作する必要があるので、それなりに知識を身につけました。で、シスコは本当によく考えられています。
特に大規模な案件では非常に使い勝手がいいんだろうなぁと思います。とはいっても価格も高いので、そんな簡単には試すことができません。導入も結構限られた範囲の用に思います。
一方でアライドテレシスの場合は、製品の取り扱いが簡単です。そして価格が安いです。この価格というのが非常に強い武器だと思います。アライドと同等のレベルなのかは正直わかりませんが、一部の機器では非常に強い競争力を持っていると思います。
信頼性も僕は結構高いと思っているのですが、実際の所はどうなのでしょうか。ちなみにHPのスイッチとかは使ったことさえないので全然わかりません。
ちなみに、アライドはいい製品なのですが、コレガについては、なんだかいまいち機器の安定性が劣るような気がするのですが、実際の所はどうなのでしょうか。
特に大規模な案件では非常に使い勝手がいいんだろうなぁと思います。とはいっても価格も高いので、そんな簡単には試すことができません。導入も結構限られた範囲の用に思います。
一方でアライドテレシスの場合は、製品の取り扱いが簡単です。そして価格が安いです。この価格というのが非常に強い武器だと思います。アライドと同等のレベルなのかは正直わかりませんが、一部の機器では非常に強い競争力を持っていると思います。
信頼性も僕は結構高いと思っているのですが、実際の所はどうなのでしょうか。ちなみにHPのスイッチとかは使ったことさえないので全然わかりません。
ちなみに、アライドはいい製品なのですが、コレガについては、なんだかいまいち機器の安定性が劣るような気がするのですが、実際の所はどうなのでしょうか。
2007年07月15日
最近、身近なネタが増えているので、ひょっとしたらネタが無いのかもしれませんね。僕としてはあんまり実感無いのですが、書きたいことを書くよりも、ネタを探してそれについて書いている感じがあるので、もう少ししたらネタが枯渇するかもしれません。そろそろまたネタについて意識的に行動しないとダメですね。
僕は今まで、自分のバイクをベンチ代わりに使われたことが2回あります。友達が言うには、バイクのイスはベンチ代わりに使われることがよくあるらしいのですが、僕が目撃したのは2回だけです。
僕が2回遭遇したのは、1回目は座っていました。もう一度はイスの上に荷物が置かれていました。
1回目の時は、確か夜だったと思います。止めてあるバイクに向かっていくと、薄暗い中に人影が見えました。何かと思って近づくと、知らない人が座っていたのです。こんな事は初めてだったので、困ってしまいました。とりあえず遠くからその人を眺めていて、いたずらをしていないことをまずは確認しました。あまりにも長時間座っているようなら声をかけてどいてもらおうと、待つつもりだったのですが、すぐにそのおじさんはどいてくれました。よかった。
2回目の時は、マックでテイクアウトでをしていました。袋を持ってお店から出ると、なにやらスーパーの袋が僕のバイクの上に乗っています。どうやらバイクのすぐ隣に立っているおじさんの袋のようです。そのときは、おじさんに対して、「すいません。」と言ったところ、向こうも「あ、すいません」といってすぐに袋をどかしてくれました。どうやら信号待ちの間だけイスに荷物を載せていたようです。
実際には見てない所でもっと色々な用途に使われているのだと思います。僕のバイクですので、きれいに使って頂き、なおかつ役に立つのであれば、遠慮せずにどんどん使ってもらいたいと思っています。
僕は今まで、自分のバイクをベンチ代わりに使われたことが2回あります。友達が言うには、バイクのイスはベンチ代わりに使われることがよくあるらしいのですが、僕が目撃したのは2回だけです。
僕が2回遭遇したのは、1回目は座っていました。もう一度はイスの上に荷物が置かれていました。
1回目の時は、確か夜だったと思います。止めてあるバイクに向かっていくと、薄暗い中に人影が見えました。何かと思って近づくと、知らない人が座っていたのです。こんな事は初めてだったので、困ってしまいました。とりあえず遠くからその人を眺めていて、いたずらをしていないことをまずは確認しました。あまりにも長時間座っているようなら声をかけてどいてもらおうと、待つつもりだったのですが、すぐにそのおじさんはどいてくれました。よかった。
2回目の時は、マックでテイクアウトでをしていました。袋を持ってお店から出ると、なにやらスーパーの袋が僕のバイクの上に乗っています。どうやらバイクのすぐ隣に立っているおじさんの袋のようです。そのときは、おじさんに対して、「すいません。」と言ったところ、向こうも「あ、すいません」といってすぐに袋をどかしてくれました。どうやら信号待ちの間だけイスに荷物を載せていたようです。
実際には見てない所でもっと色々な用途に使われているのだと思います。僕のバイクですので、きれいに使って頂き、なおかつ役に立つのであれば、遠慮せずにどんどん使ってもらいたいと思っています。
2007年07月14日
どうしても締め切りが間に合わない作業がありました。僕が間に合わないのではなくて、依頼している方々が間に合わないのです。そして質問に答えるためにも、僕はその方々の作業中は対応する必要があります。
ということで、どうしても深夜〜朝までその作業につきあう必要がありました。
僕は今まで深夜、早朝の作業はしたことがあるのですが、完全な徹夜というのは経験がありませんでした。翌日の事を考えると非常に心が重くなりました。
とりあえず最近は忙しい事もあって、夜の間中暇になることはありませんでした。それは特に問題ありませんでした。しかしながらやっぱり翌日がとても大変でした。
朝は何とか乗り切ることが出来ましたが、夕方あたりになってから本当にどうにもならなくなってしまいました。
眠くて眠くて仕方ないのです。一緒に働いている人にすごく迷惑をかけてしまいました。
ということで無理な徹夜は全く意味がないことを実感しました。4時間でいいから寝た方がいいと思います。
ということで、どうしても深夜〜朝までその作業につきあう必要がありました。
僕は今まで深夜、早朝の作業はしたことがあるのですが、完全な徹夜というのは経験がありませんでした。翌日の事を考えると非常に心が重くなりました。
とりあえず最近は忙しい事もあって、夜の間中暇になることはありませんでした。それは特に問題ありませんでした。しかしながらやっぱり翌日がとても大変でした。
朝は何とか乗り切ることが出来ましたが、夕方あたりになってから本当にどうにもならなくなってしまいました。
眠くて眠くて仕方ないのです。一緒に働いている人にすごく迷惑をかけてしまいました。
ということで無理な徹夜は全く意味がないことを実感しました。4時間でいいから寝た方がいいと思います。
2007年07月13日
個人的にあまり好きでは無い人がいます。あまり好きになれない理由の一番は、知ったかぶりだからです。
幸いなことに最近では滅多に交流することが無いので、あまり思い出す場面もなかったのですが、先日の飲みの時に来ていました。ということで少し思ったことを書いておきたいと思います。
知っているという形で会話を進めることのメリットが正直わかりません。そこにはどのようなメリットがあるのでしょうか。当然話を聞いていれば、その濃さでその人が本当に知識を持っているのか区別がつきます。つまり知っていると言っているのが本当なのかウソなのかは、簡単に区別がついてしまうのです。
知らない事がバレているのになぜあえて「知っている」という必要があるのでしょうか。
特に僕はSEとしてのセキュリティの知識とかであれば、結構程度知っています。というよりもその当たりは仕事で使うので、常識的な範囲で知っている程度でも、普通の仕事をしている人には浸透していない用語も多々あります。
だから僕は、結構丁寧に自分の仕事に関連することは話をします。そうしないと伝わっているのかとても不安です。その人としゃべるときは、その人が知っているというので、結構基本的な部分を端折って話をしてしまいます。
そのときの会話でもラマダンの話が出ました。僕は以前にもラマダンで記事を書いたことがあるのですが、昼間は食事が一切できないので、日本に住んでいるそう言う宗教を信じている人には、とても厳しい事だと思います。もちろん僕もラマダンについてそんなに多くの話を聞いたことがあるわけではないので、当時記事に書いたような話をする予定でした。
で、ちょっと試したくなったので
Aさん「こないだラマダンの学生が生徒で来てて彼らとても大変みたいだったんだよ。もちろんあまり厳しく守らない人もいる見たいなんだけど、その子はとても熱心なんだよね」
僕「そうなんですねー。確かに僕も昔仕事でラマダン中の人がいて、本当に大変そうでしたよ」
知ったかさん「そうですね。ラマダンの人は本当に大変みたいですよ」
という会話の流れになったのです。
僕はそこで知ったかさんに対して「本当に大変みたいですよね。なんかそう言う人が身近にいたりとかそう言うのあります?」といって聞いてみました。
そうすると案の定「いや身近には特に無いんだけど」そのように言っていました。不思議なのは、なぜそう言う体験とか自身に基づいた経験が無いのに、大変だと言えてしまうのでしょうか。想像だけで言っているのでしょうが、「知っている」というだけで会話も先細りになってしまいますし、あまり意味のあることではありません。
ということで、ちょっと会話の振り方ができたので、今度知ったかさんと会ったときにはもう少し色々な事について話を振ってみたいと思います。
幸いなことに最近では滅多に交流することが無いので、あまり思い出す場面もなかったのですが、先日の飲みの時に来ていました。ということで少し思ったことを書いておきたいと思います。
知っているという形で会話を進めることのメリットが正直わかりません。そこにはどのようなメリットがあるのでしょうか。当然話を聞いていれば、その濃さでその人が本当に知識を持っているのか区別がつきます。つまり知っていると言っているのが本当なのかウソなのかは、簡単に区別がついてしまうのです。
知らない事がバレているのになぜあえて「知っている」という必要があるのでしょうか。
特に僕はSEとしてのセキュリティの知識とかであれば、結構程度知っています。というよりもその当たりは仕事で使うので、常識的な範囲で知っている程度でも、普通の仕事をしている人には浸透していない用語も多々あります。
だから僕は、結構丁寧に自分の仕事に関連することは話をします。そうしないと伝わっているのかとても不安です。その人としゃべるときは、その人が知っているというので、結構基本的な部分を端折って話をしてしまいます。
そのときの会話でもラマダンの話が出ました。僕は以前にもラマダンで記事を書いたことがあるのですが、昼間は食事が一切できないので、日本に住んでいるそう言う宗教を信じている人には、とても厳しい事だと思います。もちろん僕もラマダンについてそんなに多くの話を聞いたことがあるわけではないので、当時記事に書いたような話をする予定でした。
で、ちょっと試したくなったので
Aさん「こないだラマダンの学生が生徒で来てて彼らとても大変みたいだったんだよ。もちろんあまり厳しく守らない人もいる見たいなんだけど、その子はとても熱心なんだよね」
僕「そうなんですねー。確かに僕も昔仕事でラマダン中の人がいて、本当に大変そうでしたよ」
知ったかさん「そうですね。ラマダンの人は本当に大変みたいですよ」
という会話の流れになったのです。
僕はそこで知ったかさんに対して「本当に大変みたいですよね。なんかそう言う人が身近にいたりとかそう言うのあります?」といって聞いてみました。
そうすると案の定「いや身近には特に無いんだけど」そのように言っていました。不思議なのは、なぜそう言う体験とか自身に基づいた経験が無いのに、大変だと言えてしまうのでしょうか。想像だけで言っているのでしょうが、「知っている」というだけで会話も先細りになってしまいますし、あまり意味のあることではありません。
ということで、ちょっと会話の振り方ができたので、今度知ったかさんと会ったときにはもう少し色々な事について話を振ってみたいと思います。
2007年07月12日
同窓会に行ってきました。先日の友人の葬儀がきっかけに、その同窓会が行われる事を知ったのです。
久しぶりに小学校時代の友人と会いました。最初聞いていた話では、50人近くの人が集まると聞いていたのですが、そのあたりがさすがグダグダで、結局30名ぐらいでおちついていました。情報の正確な伝達に問題があるのか、計画性に問題があるのか分かりませんが、さすが昔からの友人という感じです。
やっぱりみんな全然変わっていませんでした。本当に相変わらずです。それぞれがそれぞれの仕事をして頑張っているようなので、その当たりの話をたくさんしました。そしてノドが痛くなりました。
また夏ごろに同窓会をやるそうなので、楽しみにしています。
いつもは全然会わないんですが同窓会の時はべったり一緒に行動する友人がいます。小学生の時の友達なのですが、おそらく同窓会の時は、今まで小学生の頃と比べても、それ以上に仲良くなっています。
今回は年上の人たちも結構いました。僕は大体一人一人にあたりをつけて、話しかけるようにしています。今回は年上の人も多かったので、ちょっとその辺は完璧ではありませんでした。
葬儀の時にも、一通り会っていた事もあって、大きく取り乱すこともなく無事に終わりました。とても楽しいひとときでした。
久しぶりに小学校時代の友人と会いました。最初聞いていた話では、50人近くの人が集まると聞いていたのですが、そのあたりがさすがグダグダで、結局30名ぐらいでおちついていました。情報の正確な伝達に問題があるのか、計画性に問題があるのか分かりませんが、さすが昔からの友人という感じです。
やっぱりみんな全然変わっていませんでした。本当に相変わらずです。それぞれがそれぞれの仕事をして頑張っているようなので、その当たりの話をたくさんしました。そしてノドが痛くなりました。
また夏ごろに同窓会をやるそうなので、楽しみにしています。
いつもは全然会わないんですが同窓会の時はべったり一緒に行動する友人がいます。小学生の時の友達なのですが、おそらく同窓会の時は、今まで小学生の頃と比べても、それ以上に仲良くなっています。
今回は年上の人たちも結構いました。僕は大体一人一人にあたりをつけて、話しかけるようにしています。今回は年上の人も多かったので、ちょっとその辺は完璧ではありませんでした。
葬儀の時にも、一通り会っていた事もあって、大きく取り乱すこともなく無事に終わりました。とても楽しいひとときでした。
2007年07月11日
最近はあまり新しい考え方とか情報に触れる機会が薄れてきました。一つは僕のアンテナの感度が鈍っているのも原因だと思いますし、人とのコミュニケーションがおっくうに感じているのも事実です。そのあたりが原因でしょうね。
これから入社するという人と少し会話をしました。そしてその意見はとても新しくて、僕にとっては斬新だと思ってしまいました。
会話の内容としてはごくごく普通の事なのですが、入社する会社の事とか、売上の事とかを聞きました。
僕自身としては、フラットにその意見を聞いていたつもりなのですが、おそらく相手に不快な思いをさせたと思います。否定的だったり、稚拙な意見という態度で相手の意見を聞いてしまったかもしれません。今考えても、多くの疑問もありますが、終始一貫して決してバカにしたような気持ちは持っていません。
で、内容です。
・給料の高低が大切
・自分の能力を生かしたい
・早い段階で新しいビジネスの提案がしたい
給料については、確かにたくさんもらえるのがいいと思います。ただし、金銭的な部分を全面に押し出した意見というのは非常にデリケートだと言うことを自覚しなければならないと思いました。給料の高低だけで転職を判断するのは非常に厳しい事だと思います。もちろんスキルと給料が見合ってない場合は、全然問題が無いのですが、それについても全ては本人の問題であり、周りからの意見については慎重にあるべきだと考えました。
自分の能力を生かす。というのは非常に難しい事だと思います。社会にこれから出る中での自分の能力というのはどこにあるのでしょうか。もし、自分の能力を把握していない状態で、能力があることを自覚しているのであれば、それは大きな問題点のような気がします。無能な人が理屈をこねるパターンというのは、非常にやっかいだという経験は多くありますし。
もし社会で十分に通用する能力があったとしても、それがいわゆる社会人の中では常識的な能力である可能性も否定できません。そうなると、さらに頭一個、能力を飛び出させる事は簡単なのでしょうか。
ビジネスの提案。コレが非常に問題だと思いました。提案をするのはもちろん自由ですし、その中に新規性のある、面白い企画というのもあると思います。その当たりは若いという部分が最大の武器になる部分でもあるでしょうし。
一方で会社の側から考えたときに、その面白いビジネスをいきなりすべて任せるというのは、責任のある行動だとは思えません。当然会社としてバックアップするのならば、中間に色々と責任者を絡めてきます。それは予算管理などのお金の部分や、そのビジネスに関わらせる人的な側面。仕入れとか発注などの事務的なことから営業活動、広告宣伝に至るまで、一人でやるには酷な作業もたくさんありますし、結果的にそれらに携わるのは、ほとんどが先輩とか上司と言うことになります。統括的な立場など当然与えられるわけもなく、そういう程度であったとしても、いわゆる「ビジネスの提案ができた」となるのでしょうか。その当たり非常に疑問に思いました。
また、現実的な話を聞いたとしても、「現実に行われているのでそれは現実的なのでは」という、ある意味で非常に面白い意見を持っていました。
現実に行われている事と、"現実的" であることは別だと思います。それは例えば優秀な人が一人で非現実的な数字を出している場合、現実ではあるでしょうが、現実的ではありません。
その人が何らかの理由で退いたときに、結果の継続が不可能になるわけですし。
しかも、現実に行われている事の検証についてはしていないのだと思います。つまり、聞いた話だけで、現実だと思ってしまっているのではないか。という事です。疑問を持つ事が調査につながり、それが現実に結びつきます。聞いたことが真実になってしまえば、それを調査する機会を失ってしまいます。悪い事実も良い事実も、たいがいはバイアスがかかっているので、自分の目で頭でそれを検証するのはとても大切な事です。
とてもバイタリティにあふれて、僕のおそらく悪い態度にもかかわらずちゃんと話をしてくれましたし、ちゃんと話を聞いてくれました。今回のような事はまだまだ経験も浅く、久々にとまどってしまいましたが、とても良い勉強の機会になったので、次からまた頑張っていきたいと思います。
これから入社するという人と少し会話をしました。そしてその意見はとても新しくて、僕にとっては斬新だと思ってしまいました。
会話の内容としてはごくごく普通の事なのですが、入社する会社の事とか、売上の事とかを聞きました。
僕自身としては、フラットにその意見を聞いていたつもりなのですが、おそらく相手に不快な思いをさせたと思います。否定的だったり、稚拙な意見という態度で相手の意見を聞いてしまったかもしれません。今考えても、多くの疑問もありますが、終始一貫して決してバカにしたような気持ちは持っていません。
で、内容です。
・給料の高低が大切
・自分の能力を生かしたい
・早い段階で新しいビジネスの提案がしたい
給料については、確かにたくさんもらえるのがいいと思います。ただし、金銭的な部分を全面に押し出した意見というのは非常にデリケートだと言うことを自覚しなければならないと思いました。給料の高低だけで転職を判断するのは非常に厳しい事だと思います。もちろんスキルと給料が見合ってない場合は、全然問題が無いのですが、それについても全ては本人の問題であり、周りからの意見については慎重にあるべきだと考えました。
自分の能力を生かす。というのは非常に難しい事だと思います。社会にこれから出る中での自分の能力というのはどこにあるのでしょうか。もし、自分の能力を把握していない状態で、能力があることを自覚しているのであれば、それは大きな問題点のような気がします。無能な人が理屈をこねるパターンというのは、非常にやっかいだという経験は多くありますし。
もし社会で十分に通用する能力があったとしても、それがいわゆる社会人の中では常識的な能力である可能性も否定できません。そうなると、さらに頭一個、能力を飛び出させる事は簡単なのでしょうか。
ビジネスの提案。コレが非常に問題だと思いました。提案をするのはもちろん自由ですし、その中に新規性のある、面白い企画というのもあると思います。その当たりは若いという部分が最大の武器になる部分でもあるでしょうし。
一方で会社の側から考えたときに、その面白いビジネスをいきなりすべて任せるというのは、責任のある行動だとは思えません。当然会社としてバックアップするのならば、中間に色々と責任者を絡めてきます。それは予算管理などのお金の部分や、そのビジネスに関わらせる人的な側面。仕入れとか発注などの事務的なことから営業活動、広告宣伝に至るまで、一人でやるには酷な作業もたくさんありますし、結果的にそれらに携わるのは、ほとんどが先輩とか上司と言うことになります。統括的な立場など当然与えられるわけもなく、そういう程度であったとしても、いわゆる「ビジネスの提案ができた」となるのでしょうか。その当たり非常に疑問に思いました。
また、現実的な話を聞いたとしても、「現実に行われているのでそれは現実的なのでは」という、ある意味で非常に面白い意見を持っていました。
現実に行われている事と、"現実的" であることは別だと思います。それは例えば優秀な人が一人で非現実的な数字を出している場合、現実ではあるでしょうが、現実的ではありません。
その人が何らかの理由で退いたときに、結果の継続が不可能になるわけですし。
しかも、現実に行われている事の検証についてはしていないのだと思います。つまり、聞いた話だけで、現実だと思ってしまっているのではないか。という事です。疑問を持つ事が調査につながり、それが現実に結びつきます。聞いたことが真実になってしまえば、それを調査する機会を失ってしまいます。悪い事実も良い事実も、たいがいはバイアスがかかっているので、自分の目で頭でそれを検証するのはとても大切な事です。
とてもバイタリティにあふれて、僕のおそらく悪い態度にもかかわらずちゃんと話をしてくれましたし、ちゃんと話を聞いてくれました。今回のような事はまだまだ経験も浅く、久々にとまどってしまいましたが、とても良い勉強の機会になったので、次からまた頑張っていきたいと思います。