2005年05月23日
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僕はよく甘えます。それは後輩であったり先輩であったり、上司であったり友人であったり、知らない人であったり、親であったり・・・。

「甘える」というのは、悪いイメージを持つかもしれませんが、「頼る」という言葉で代替できるかもしれません。

甘えるというシチュエーションは、作業のお願いをしたり、ご飯をおごってもらったりという時に起こるのです。

特にご飯をおごってもらうときというのは、甘える絶好のチャンスです。相手が僕よりも立場が上である場合には積極的に甘えます。

そもそも甘えることに対し、僕は抵抗がほとんどありません。甘えるということは自立とは逆のイメージであり、強く抵抗を持っている人がほとんどです。その気持ちはよくわかります。収入が少ないときは、 「 おごってもらわなければ食べられない 」 のに対し、バイトや仕事をしてお金を稼ぐようになれば、必ずしもおごってもらわなくても食べることができるのです。

そうした意識の違いが、甘えることに抵抗を持たせることになるのです。

さらに、経済的な合理性も発生することがあります。
以前、23時ごろになって、「そろそろ帰ろうか・・」という雰囲気になりました。もちろんその時間であれば、余裕で帰ることができますし、オールはしんどいからなぁということだったのです。

しかし、「おごるからカラオケ行こう」と、先輩にいわれたのです。しかしそのときは5人ぐらいいたので、おごってもらうとなれば、それなりの金額になります。「それは悪いですよ・・。」ということになったのですが、僕は別におごってもらえるならいいんじゃないの?と考えていたのです。

結果として、そのときの理由は、その先輩が遠くに住んでいたので終電が無いということでした。そしてタクシーで帰ると、数万かかってしまうと。タクシーにそれだけ払うなら、みんなと過ごして始発で帰った方が、先輩も、周りもある程度楽しめていいんじゃないか。ということでした。

僕は、そうした理由があるときに甘えるのは、全く問題ないと思っています。そして甘えるということが結果的に助けていることにもなるのです。

また、難しいことに、甘える立場を経験してから甘えられる立場を経験することになります。当然、先輩に甘えている僕は、これからどんどん後輩に甘えられるようになります。

それならば、甘えられる立場の気持ちを理解した上で甘えたいのです。


僕が「人から甘えられる立場」を経験するのは、食事のときがおおいです。例えば大学の後輩などに、食事をおごるときに、遠慮をされたら、「確かに給料は安いけど、大学生数人分の食事代ぐらいは払えるし!」となるのです。この場合に、節度が無いのは常識の問題としても、相手にとって遠慮をしてないな、とうけとってもらえるような振る舞いをすることはとても重要なのです。

そして、遠慮が無い( ように見える ) 甘えはむしろ、甘えられる側がとても喜んでいるのです。


stock_value at 10:32│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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