2005年05月27日
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なぜか、人は嫌いな音というのがあります。ガラスをひっかく音が代表的ですが、こんな音がキライなの?という音が嫌いな人もいます。

僕の嫌いな音は、主に二つあります。
・おたまでナベの底をこする音。
・コーヒーカップをスプーンでこする音

両方ともこすったときの音なのですが、特に関連してるわけではありません。

さて、どういったシチュエーションでこの音を聞くことになるのでしょうか。
おたまの音は、カレーライスの最後などによく聞く音です。カレーライスが残り最後となると、お鍋の底に残ったカレーを、おたまでこすりながら取り出します。このときに、そのイヤな音が聞こえてくるのです。

カレーの時もそうですが、それ以外にもスープなどとにかくナベを使った料理ではよく発生することになります。

そして、コーヒーカップの方ですが、これは単純でコーヒーに砂糖を溶かすときに発生する音です。カチャカチャというスプーンがコーヒーカップにあたった時の音はとても心地いいですが、かき回すときにカップにこすりつける人がいるのですが、そのときはとても不快なのです。

実はこの音、身近な発生源は親なのです。

僕は、親には品が無いと思っています。この blog の書き方を見て頂くと分かると思うのですが、僕の主観的な意見ではなく、客観的に見て僕の親には品が無いと思います。

そして、品があることとは関係ないかもしれませんが、ナベの底にある食材を一生懸命おたまで取り出そうとしている、その姿を見ると、イヤな音とともに怒りを感じるのです。

一つは、僕の嫌いな音をそんなに出してまで取り出す必要があるのか。特にみそ汁やスープ類の液体であれば、おたまを使ってナベをこすったところで、追加で取り出せる物はほとんどありません。ナベを傾けて液体を取り出せば、ナベは空になるのです。にもかかわらず、おたまを使って一生懸命している姿を見ると、とてもイライラするのです。

また、コーヒーも同じです。上記と同じ理由で品が無い親なのですが、紅茶を僕の親は飲みます。しかし、日常的に紅茶を飲むわけでは無いので、紅茶には砂糖を必ず沢山入れるのです。日常的に飲むのであれば、砂糖の量はおのずと減るでしょうし、溶かす作業も手慣れてきます。

しかし、週に1度程しか飲むことのない場合、その作業は不慣れなのです。もしくは非効率なままで固定しています。

飽和状態まで砂糖を入れるのでなければ、砂糖はすぐ溶けます。そして軽くかき回せば濃度も一定になるでしょう。そんなことはすぐ分かります。しかし僕の親は必要以上にかき回すのです。

数回かき回すだけであれば、そして一般的な常識があれば、カチャカチャという音を出すのは、マナーとしてあまりいいことではないので、すぐそのかき回す作業を終了させます。

しかし、そうした配慮が無く、またそうしたことになれてないので、しつこいほどにそのイヤな音を発生させるのです。

僕はコーヒーを飲むときはブラックで飲みます。何かを混ぜるようなことはありません。もちろん、日常的に飲むということもあり、混ぜるのはとても面倒な作業を軽減したいという事もありますし、ブラックが好きだと言うこともあります。

しかし、先天的にそうした嫌いな音を僕が発生させるのはできない。との理由から何も入れないという選択をしたのかもしれません。

好みは知らない間に意図的に作られている場合もあるのです。



stock_value at 02:28│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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