2005年06月04日
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面倒に感じることは、ムラがあります。面倒に感じることは、常に公平ではなく、そのときに応じて変化するのです。
以前僕が学校に行っているとき等にそのことを強く意識することがありました。
電車を降りて自宅は右の方にあります。そしてコンビニが左側の、しかも駅の隣にあるのです。そのコンビニによることは、時間や距離を考えても、ほとんど影響はありません。冷静になって考えて見れば、左隣のコンビニに立ち寄る労力など無視できる程度でしょう。
にもかかわらず、僕はそのコンビニに立ち寄ることができなかったのです。そしてその理由が面倒だから。
自宅に帰るために、右側に行かなければならないのに、なぜ左のほうに行くのか。について強く身体が拒否してきたのです。
そしてそのように思うのは、いつも帰りなのです。目的地に行くときは、少し遠回りしてコンビに行くことさえも面倒と感じることはありません。そんなにも早く帰りたいわけではないのですが、それでもコンビニに行くことをわずらわしいと感じるのであれば、やはりそれは面倒なのでしょう。
僕は、帰宅してからも時間に余裕があるのならば、どこかで時間をつぶすように心がけています。遊んでもいいですし、勉強してもいいですし。
そうしたことをするには、帰宅時に寄り道をしなければなりません。しかし、駅の隣のコンビニさえも面倒と感じるのならば、非常に難しいのです。
中学生のころから、面倒だと思っていましたが、いまだに面倒だと考えています。この部分について、僕は昔から変わらない考えをもっているのです。

以前僕が学校に行っているとき等にそのことを強く意識することがありました。
電車を降りて自宅は右の方にあります。そしてコンビニが左側の、しかも駅の隣にあるのです。そのコンビニによることは、時間や距離を考えても、ほとんど影響はありません。冷静になって考えて見れば、左隣のコンビニに立ち寄る労力など無視できる程度でしょう。
にもかかわらず、僕はそのコンビニに立ち寄ることができなかったのです。そしてその理由が面倒だから。
自宅に帰るために、右側に行かなければならないのに、なぜ左のほうに行くのか。について強く身体が拒否してきたのです。
そしてそのように思うのは、いつも帰りなのです。目的地に行くときは、少し遠回りしてコンビに行くことさえも面倒と感じることはありません。そんなにも早く帰りたいわけではないのですが、それでもコンビニに行くことをわずらわしいと感じるのであれば、やはりそれは面倒なのでしょう。
僕は、帰宅してからも時間に余裕があるのならば、どこかで時間をつぶすように心がけています。遊んでもいいですし、勉強してもいいですし。
そうしたことをするには、帰宅時に寄り道をしなければなりません。しかし、駅の隣のコンビニさえも面倒と感じるのならば、非常に難しいのです。
中学生のころから、面倒だと思っていましたが、いまだに面倒だと考えています。この部分について、僕は昔から変わらない考えをもっているのです。