2005年07月04日
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以前にも似たような記事を書いたかもしれません。とは言え、特には気にしないで書きたいと思います。

僕は大学生の頃から、物を購入するときに心配になっていることがあります。それは買い物をするときに、必ず価格を意識するということです。これは高い物でも安いものでも特に区別はしません。

何か、行動をするときも、必ず価値とコストを考えてから行動します。これはもう、癖であり、変更することはできません。もしくは非常に大きな困難を伴います。

この癖はいい部分も多いのですが、悪い部分も非常に多くあります。
いい部分としては、コスト対効果を比べて満足を得られるので、客観的にサービスを受けることができます。そして不満があっても、納得することが容易です。サービスを引き上げるか、費用を下げればいいだけですから。また、強く精神に作用するようなことも、僕にとってはあまり意味をなしません。思い出の○○〜といったことが、あまり強く出てこないので、悪く言えばドライに、考えることができるのです。( おそらく、バイクを下取りしてもらうときに、そういう考えは役に立つだろうと考えています )

悪い部分ですが、価格やコストを意識しすぎることによるコスト。となります。社会人となって金銭的には昔に比べ余裕が出てきました。働くことによってお金を使う時間も制約されますし、毎月一定の金額が振り込まれます。
昔に比べ、時間が無くなり、自由な時間あたりの消費金額は増やすことができるようになりました。
にもかかわらず、そうして小さな金額を意識することは、もはや不必要なコストをかけていると僕は考えるのです。僕が一番その弊害を考えるときは、カップめんを購入するときです。カップめんというのは、安い製品から非常に高い製品まで様々なものがあります。そして僕は、カップめんという区分で商品の価値を捕らえてしまうために、どうしても高価格製品が価値に見合うとは考えられないのです。そのため、150円のカップめんにするのか300円のカップめんにするのか、迷ってしまいます。

僕は、カップめんを購入することはほとんどないので、たまに食べるぐらいであれば、高い物でも安いものでも大差はありません。金銭に対する影響も無視できる程度か、かなり軽微です。
それにもかかわらず、購入時に真剣に悩み、結果的に安い方を購入するというのは、やっぱり寂しい気がするのです。しかも、他の物も終始そんな感じで購入を決定します。

もちろん、僕の性格ですし、それが悪いことだとは思っていません。しかし僕がもっとお金を稼ぐようになっても、この性格が変わらないとすれば、やっぱりそれはそれで、なんだかなぁ。と思ってしまうのです。

今後どうなるのでしょうか。


stock_value at 09:52│Comments(0)TrackBack(0)食べ物 

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