2005年08月26日
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今までに無いタイプの人と出会いました。新しい概念を設ける必要があるかもしれません。
このような書き方をすると、一部に誤解されてしまいそうなので、少しだけ背景を書いておきます。
同じ会社の人なのですが、少しの間だけかかわることになりました。そして人間性としてはとても面白い人ですし、若いので発想も柔軟だと、普段の会話の中での印象です。

ちょうどいい機会なのでお酒を少しだけ飲みました。

メンバーはどうですか?といったごくごく普通の会話をしているのですが、そういった会話を続けていると、少しずつ僕の頭の中に「???」が浮かんできました。

その「?」の理由は、相手の言動がすべて「守り」に感じたからです。この場合の守りの同意語として、保守的、あいまい、理想といった言葉を僕は連想しています。

具体的な事はちょっと避けさせてもらいますが、たとえば、「もっとメンバーと積極的に交流すればいいんじゃないですか?仲良くなったほうが仕事もやりやすいと思いますよ?」といった質問をすれば、
「別に仲良くなるのは簡単だけど、そんなことはするつもりないし。」となるのです。できないわけではなく、やらないだけだと。
そして「職場はメンバーの交流が活発なほうがいい」と言うのです。

僕の考え方では、僕自身が交流するかどうかを決定するのは、まず自分にとってのメリットを考えます。メリットがある場合は、交流しますし、無ければ交流しません。さらに、職場のメンバーの交流が活発なほうが僕にとってメリットがあるなら、そのように行動します。理想とか計画といった考え方は、この場合あまり持たず、全体としてベストが僕にとってのベストであり、それを目指す場合に、僕のとるべき行動を考えるのです。

今までにも、言うことは大きく、行動はまったくできない人はたくさんいました。ただしそういった人は、プライベートな部分でも、それが強く出ていることがほとんどだったので、深い交流をしたことがありませんでした。今回のように、お酒を飲んだりして、かなり深い部分を聞かないと、そういった性格を見ることができない人ははじめてだったのです。

だからこそ、普段の姿からのギャップがあり戸惑っています。

もちろん、守り、保守的、あいまい、理想主義といったのが悪い事だとは思いません。しかも、その部分は僕には欠如している所なので、いい意味で補完することができます。

しかし、本人はそのことに自覚はなく、保守的では無いという認識をもっています。そして、なぜか保守的は恥ずかしいことだと思っているようです。確かにイメージはやや悪いかもしれませんが、その人の考え方が結果的にそうなっているだけなので、仕方の無いことです。

そして、ある程度時間をかけて、そのような保守的なイメージをその人に抱いてしまったため、あらゆる言動がやっぱり保守的のように思えてきます。

発展途上にありがちだと僕は思っていますが、自分の意見を持たずに多面的な意見を聞くと、すべての考え方に感銘を受けることになり、自分の意見をさらにもてなくなってしまいます。一つの意見がすべての方向から賛同を受けるとしたら、それはやっぱり保守的、理想、あいまいな意見です。

上記について、大きく外れていなければ、きっと目指す先は管理職だと思います。

このままの発想で、それができるのでしょうか?とても不思議です。
そして、若い年代にもかかわらず、ここまで守りの発想を持つ、今までの生活環境がとても気になります。もうじき会うことも少なくなってしまいますが、せっかくなのでもう少し探ってみたい気がします。


stock_value at 11:42│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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