2005年10月06日
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今日は久々に 友人の blog にトラックバックさせていただきます。
さて、「損をするタイプについて」ということですが、僕も確かに存在すると考えています。
以下、友人の blog の内容はずばり "余計なことを話すタイプは損をする" ということです。
僕の考えもまさにこの考えに賛成であり、余計なことを話すタイプ、場合にもよりますが、首をつっこむタイプは嫌われるのです。特に、僕の従事しているような、技術的な仕事はそれが顕著なのです。職人気質とは言いませんが、それに通じるものを感じることもあります。結局、見て覚えろ、技は盗めというのは案外あこがれる対象となりえるのかもしれません。( この辺は僕の理解不足もあるので何ともいえませんが )
余計なことを口にする人は損をします。そういった意味で、僕はそれにかなり近い立場にいることもまた事実です。そもそも僕は何にでも疑問を持ち、それを解決・理解するかどうかは別として、納得したいと考えるので、首をつっこみやすくなります。僕が納得をしたいと考える部分は、当然人が触れてほしくない部分も含まれます。そのため、さらにイヤがられるのです。
こうなったときに、友人は "余計なことを話さないようにする" というアプローチが有効だと考えたようです。
確かに有効な手段の一つだと考えられます。その行動を取るという発想はともかくとして、その行動をとった後の結果は非常に有効だと思うからです。
しかし、僕が考えたいのは、その行動を取るという発想までのプロセスなのです。何もしないというのは、僕にとって非常に苦痛なことでもあります。何かをしてマイナスになるのであれば、何もしないというのは非常に理解できる発想ですが、それを受け入れるのは僕にとって非常に難しいことです。
ただし、この発言を今まで通りつづけるのに、十分に気をつけないといけないのは、"場違いでないこと" です。往々にしてあるのですが、場違いな発言が多い人は、それだけで無視されます。もしくは黙っててほしいという、みんなの意見が形成されます。
場の空気を読み違えなければ、余計なことを口にする性格でも一定の居場所は確保できると考えています。
そもそも、べらべらとしゃべる人は、うまく行けば非常に高い評価を得られます。寡黙は確かに安定的な評価を得られます。しかし、僕が目指しているように、能力が無くても、大きなアピール力によって評価は得られるものなのです。しかしその代償として、空気を読めなければ無視される。得られる物が大きいだけにリスクもあるということです。
なにも、"色々としゃべるのは僕の性格だから受け入れられない人とはそれまでだ" という高慢な態度を取るつもりもありませんし、そういう人こそ、それまでです。寡黙になるという、比較的安易でネガティブな行動を考えることよりも、現状の性格を生かしつつ変化をしていくというのは、難しいとは思いますが、楽しい作業でもあるでしょう。
あ、あと表現とかアピールと、ただ口が軽いのは別なのでその辺ももうちょい考察する必要があるかな。

さて、「損をするタイプについて」ということですが、僕も確かに存在すると考えています。
以下、友人の blog の内容はずばり "余計なことを話すタイプは損をする" ということです。
僕の考えもまさにこの考えに賛成であり、余計なことを話すタイプ、場合にもよりますが、首をつっこむタイプは嫌われるのです。特に、僕の従事しているような、技術的な仕事はそれが顕著なのです。職人気質とは言いませんが、それに通じるものを感じることもあります。結局、見て覚えろ、技は盗めというのは案外あこがれる対象となりえるのかもしれません。( この辺は僕の理解不足もあるので何ともいえませんが )
余計なことを口にする人は損をします。そういった意味で、僕はそれにかなり近い立場にいることもまた事実です。そもそも僕は何にでも疑問を持ち、それを解決・理解するかどうかは別として、納得したいと考えるので、首をつっこみやすくなります。僕が納得をしたいと考える部分は、当然人が触れてほしくない部分も含まれます。そのため、さらにイヤがられるのです。
こうなったときに、友人は "余計なことを話さないようにする" というアプローチが有効だと考えたようです。
確かに有効な手段の一つだと考えられます。その行動を取るという発想はともかくとして、その行動をとった後の結果は非常に有効だと思うからです。
しかし、僕が考えたいのは、その行動を取るという発想までのプロセスなのです。何もしないというのは、僕にとって非常に苦痛なことでもあります。何かをしてマイナスになるのであれば、何もしないというのは非常に理解できる発想ですが、それを受け入れるのは僕にとって非常に難しいことです。
ただし、この発言を今まで通りつづけるのに、十分に気をつけないといけないのは、"場違いでないこと" です。往々にしてあるのですが、場違いな発言が多い人は、それだけで無視されます。もしくは黙っててほしいという、みんなの意見が形成されます。
場の空気を読み違えなければ、余計なことを口にする性格でも一定の居場所は確保できると考えています。
そもそも、べらべらとしゃべる人は、うまく行けば非常に高い評価を得られます。寡黙は確かに安定的な評価を得られます。しかし、僕が目指しているように、能力が無くても、大きなアピール力によって評価は得られるものなのです。しかしその代償として、空気を読めなければ無視される。得られる物が大きいだけにリスクもあるということです。
なにも、"色々としゃべるのは僕の性格だから受け入れられない人とはそれまでだ" という高慢な態度を取るつもりもありませんし、そういう人こそ、それまでです。寡黙になるという、比較的安易でネガティブな行動を考えることよりも、現状の性格を生かしつつ変化をしていくというのは、難しいとは思いますが、楽しい作業でもあるでしょう。
あ、あと表現とかアピールと、ただ口が軽いのは別なのでその辺ももうちょい考察する必要があるかな。
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この記事へのコメント
1. Posted by C 2005年10月11日 20:57
トラックバックありがとう。
そうなんだよね。寡黙に慣れるまでかなりの時間を要したし、かなり苦痛だった。
でも、私は「黙っているストレス」よりも「否定されるストレス」の方が圧倒的に大きかったからなぁ。
それに私はあんまり機転のきく方じゃないから、とっさの状況判断力に自信がない。ということで、だんまりを選んだわけです。
そうしたくてもできないんで、やむをえず不本意な手段をとった人の気持も分かってもらえるとこれ幸い。
負け犬なのかな。。
そうなんだよね。寡黙に慣れるまでかなりの時間を要したし、かなり苦痛だった。
でも、私は「黙っているストレス」よりも「否定されるストレス」の方が圧倒的に大きかったからなぁ。
それに私はあんまり機転のきく方じゃないから、とっさの状況判断力に自信がない。ということで、だんまりを選んだわけです。
そうしたくてもできないんで、やむをえず不本意な手段をとった人の気持も分かってもらえるとこれ幸い。
負け犬なのかな。。
2. Posted by しょう 2005年10月12日 19:48
だんまりは、メリットも多いんでとってもいいと思いますよ。とは言え性格との兼ね合いはありますね。確かに僕は放って置かれたいときには放って置かれるし、コミュニケーション取りたいときにはとってもらえるから、否定されるとかはあまり考えたことも無かったです。
こういうことは、正解とかが無いんで難しいですけど、"やむを得ず不本意"なんていわずに、それを本意にしちゃえばきっと楽しめるんじゃないでしょうか。やっぱりそういうのって難しいのかなぁ?
こういうことは、正解とかが無いんで難しいですけど、"やむを得ず不本意"なんていわずに、それを本意にしちゃえばきっと楽しめるんじゃないでしょうか。やっぱりそういうのって難しいのかなぁ?
3. Posted by C 2005年10月12日 21:36
おお、そう言ってもらえると報われる。
何事も訓練次第で慣れるもので、慣れてしまえば、だんまりは楽だし、評価も上がるし、いざという時に口を開くと耳を傾けてもらえるし、いいことづくめだった。今となっては本意な手段になりつつあるよ。
でもやっぱり卑怯な手段だと思うから、抵抗はあるけどね。だから、それに安住しないで頑張っている人はすごいと思うよ。
何事も訓練次第で慣れるもので、慣れてしまえば、だんまりは楽だし、評価も上がるし、いざという時に口を開くと耳を傾けてもらえるし、いいことづくめだった。今となっては本意な手段になりつつあるよ。
でもやっぱり卑怯な手段だと思うから、抵抗はあるけどね。だから、それに安住しないで頑張っている人はすごいと思うよ。