2006年03月05日
このエントリーをはてなブックマークに追加
昨日のちょっとした続きです。

身体に悪いと分かっている物質を食品の製造過程に使用した場合、その物質の残留が無いと科学的に分かっている場合、僕としては、それを受け入れるべきか、それでもやはりその食品を拒否するのか難しい問題だと思いました。

食品の製造過程で使用しても、最終製品になった場合にその物質が残っていなければ、それは問題ないようにも思えます。
また、健康にいいのか悪いのか分からない物質を昔から採っているという理由で食べるのが危険だと言われれば、それもまた一理あります。経験的に分かっていることも尊重したいですし、科学的な根拠も尊重したいと思いますし。

そう言う意味で、僕はマイナスイオンなどはあまり信じていません。というのも科学的根拠が乏しいという理由からです。僕の中では占いと一緒で、都合のいいときに応じて信じる・信じないを決めています。

信じない理由を科学に求めるのであれば、信じる理由を科学に求めるのもまた自然だと思います。そう言う意味で、食品への残留が無いことがハッキリしている場合に難しいのです。

もちろん、自分自身へは上記のような判断でいいかもしれませんが、身近な人たちに対して、僕がとるべき行動がそれでいいのかについても、疑問が残ります。たとえば、子供がいたとして、食事はやはり安全を重視するかもしれませんし。

結局の所、絶対というのは無いので、その時々に応じた判断はもちろん必要ですし、"何かマズイ" という勘のような、インスピレーションも大切にしていかないと、本当の安全は手に入らないと言うことでしょうか。

食事や環境を通した健康の変化というのは、潜在期間が長いので、本当に後悔するのはずいぶん先になると思います。もちろん今だって将来だって後悔したくないので、十分に気をつけていきたいと思います。



stock_value at 16:50│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

トラックバックURL

この記事にコメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価: 顔