2006年09月13日
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最近立て続けに、震える手を目撃しました。そのことについて書きたいと思います。

1回目。先月の半ばに父親と親戚の家に遊びに行きました。その際、途中で昼食を取るために、ラーメン屋に入ったのです。このお店はいかにも個人でやっているような中華やさんでした。メニューを見ると、そんなに高く無いですし、種類も豊富ですし、量も多くて結構いいお店だなぁと思っていました。

とはいえ、僕は二日酔いだったので、セットはやめて普通のラーメンとかそう言うのにしました。そして父親はラーメン・半チャーハン・餃子のセットだったと思います。量が多いのによく食べるなぁなどと思っていました。

注文した品が出てくると、僕の想像していた通りの量でした。そのため、二日酔いの状態とはいえ、それをちゃんと完食することができました。残すのはもったいないですからね。
味は正直なところいまいちでした。
父親もラーメンと半チャーハンをどんどん食べています。餃子はいらないと判断したのか、僕が食べたそうに見ていると判断したのか分かりませんが、「食べていいよ」というので、もらうことにしました。

全体的に父親と比べて量の少ない食事だったので、僕の方が早く食べ終わり、父親の食べている姿を見ていました。
すると、食事をしている父親の手がプルプルと震えていました。そのときに、おそらく年齢による "ふるえ" だろうと思ったのです。

僕の父親は結構な高齢なので、色々な部分で "おじいちゃん" となっている父親を見ていますが、ふるえもまた、それを実感させられました。


2回目。仕事関係の人とで昼食を食べました。相手の人は僕よりも年上なので、正確な年齢は分かりませんが、結構年上です。40〜50歳ぐらいではないでしょうか。
やはりこのときもラーメンを食べたのです。

早食いというわけではないのですが、僕の方が早く食べ終わり、相手の食べている姿を見ていました。すると、その人もまた手が震えていたのです。

もちろん、今回の場合は年齢とかよりも体調とかそのときだけだったのかもしれません。しかしその姿を見たときに、何となく父親の姿と重なりました。


そしてこうした "ふるえ" をみると、なんとも言えない感じがします。一つは身近な父親がおじいちゃんになったということ。ふるえる姿は何とも言えず寂しい感じがするということです。

僕が歳をとれば、それだけ周りの人も歳をとることになります。そうして今まではあまり変化の無かったことが、少しずつ老化としての変化で現れるというのは、なんとも残酷な気がします。とはいえ、成長することと共に老いることも大切な事だとは思いますが。


stock_value at 13:51│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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