2006年10月20日
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古新聞を読んでいるという記事を昔に書いたことがあります。そしてそれは、先を読めるようになるのではないか。という期待も含めたトレーニングの一つであるとそのときは書きました。漠然とではありますが、そういった効果を期待しているのは事実です。もちろん、それ以外のメリットも多くあるように感じます。
もちろん、一方では、最新の情報を得にくいという古新聞を読むデメリットもあります。
新聞では時事についての記事しか書いていませんが、僕は文章を読むときのクセで先のことを考えるようになってしまいました。それは結果を知ってから、過去の事実を知るので、新聞に書いてある古い記事を読みながら、"これはこうなった" という事を考えるので、自然な流れかもしれません。
新聞を読むときにだけそうやって考えるのであれば特に問題はないですし、そうやって考えた方が古新聞をより楽しめるのでいいことだと思います。しかし僕が気になっているのは、友達との会話でもそのように先を考えてるようになってしまったと言うことです。
こういった考え方は一般的なのかもしれませんが、僕の場合何かの出来事があると、まずは将来起こりうる分岐を考えます。将棋などに似ているのかもしれませんが、その中の分岐で面白そうなものがあれば、さらに分岐先の分岐について考えることもあります。
それが友人の話だった場合、定期的に連絡を取り、僕の考えているストーリーを少しずつ訂正したり、新たな分岐を考えたりします。
イイ方向でのストーリーを考えるのは、どの道を選んでも喜べることなので、それはとても楽しいことです。しかし実際にはネガティブな事について、ストーリーを考えることが非常に多くあります。それは僕が今置かれている環境によるせいかもしれませんが。
特にこのストーリーを考えるタイミングは以下のようなシチュエーションが多いと思います。
・新しいことを始める場合
・悩みがある場合
・トラブルが起きている場合
新しいことを始める場合ですが、このときの僕の質問は非常にパターン化されていると思います。それは比較的抽象的な質問をするということです。「今度始める○○についてどう考えている?」という感じでしょうか。仕事に就く場合やアルバイトを始める場合など非常にわかりやすいのですが、このパターンで質問をします。
悩みがある場合、例えば自分の努力で解消できる場合は解消した結果を聞くことが多いです。「○○が解消したらどうなると思うの?」と。自分で解決できないような問題は、どうしたいのか、その結果どうなるのかというパターンで聞くことが多いと思います。
トラブルが起きている場合は、このパターンは結構多いのですが、どうしたいのか、その結果どうなるのか。そして今回のトラブルからどういう事が得られたのか。それについて聞くと僕もトラブルを擬似的に体験したような気になってとても勉強させられます。
僕はこういった質問をするとき、トラブルでの質問は、経験として勉強させてもらうことが多く、悩みについては客観的な立場にいることが多くあります。つまり聞く事ばかりでそのことから将来を想像することはあまりありません。
一方で新しいことを始める場合は、僕は色々と考えを巡らせます。特に仕事でも遊びでも、その人の性格を知っている場合に、「この人がこう言っているということは、こうなるな」と、先を考えることはとても面白い事だと思います
最近では、将来に影響を与えるような重要な分岐について何となくわかることが多くなってきました。だから特に結果がある程度見えてきた時点で、「最初の頃に○○って僕が聞いたときに、○○って答えたんだよね。そのときの僕の懸念が今まさに顕在化してるじゃん」という話がたまに出てきます。
ただし、新しいことを始める場合といっても、明確に区切れていないこともあるので、その判断が難しいところです。そしてそのときは時間とともに考え方が少しずつ推移しテイクので、その変化を見逃さないことが重要です。
例えばグレーな仕事をする場合とか、友達関係とかについての何かがあった場合に考え方が大きく変化するので面白いですね。
こういう事はある程度先が見通せたという意味でうれしいことでもあります。一方でいいことならともかく、悪いことも多いのでちょっと残念にも思います。
もちろん、一方では、最新の情報を得にくいという古新聞を読むデメリットもあります。
新聞では時事についての記事しか書いていませんが、僕は文章を読むときのクセで先のことを考えるようになってしまいました。それは結果を知ってから、過去の事実を知るので、新聞に書いてある古い記事を読みながら、"これはこうなった" という事を考えるので、自然な流れかもしれません。
新聞を読むときにだけそうやって考えるのであれば特に問題はないですし、そうやって考えた方が古新聞をより楽しめるのでいいことだと思います。しかし僕が気になっているのは、友達との会話でもそのように先を考えてるようになってしまったと言うことです。
こういった考え方は一般的なのかもしれませんが、僕の場合何かの出来事があると、まずは将来起こりうる分岐を考えます。将棋などに似ているのかもしれませんが、その中の分岐で面白そうなものがあれば、さらに分岐先の分岐について考えることもあります。
それが友人の話だった場合、定期的に連絡を取り、僕の考えているストーリーを少しずつ訂正したり、新たな分岐を考えたりします。
イイ方向でのストーリーを考えるのは、どの道を選んでも喜べることなので、それはとても楽しいことです。しかし実際にはネガティブな事について、ストーリーを考えることが非常に多くあります。それは僕が今置かれている環境によるせいかもしれませんが。
特にこのストーリーを考えるタイミングは以下のようなシチュエーションが多いと思います。
・新しいことを始める場合
・悩みがある場合
・トラブルが起きている場合
新しいことを始める場合ですが、このときの僕の質問は非常にパターン化されていると思います。それは比較的抽象的な質問をするということです。「今度始める○○についてどう考えている?」という感じでしょうか。仕事に就く場合やアルバイトを始める場合など非常にわかりやすいのですが、このパターンで質問をします。
悩みがある場合、例えば自分の努力で解消できる場合は解消した結果を聞くことが多いです。「○○が解消したらどうなると思うの?」と。自分で解決できないような問題は、どうしたいのか、その結果どうなるのかというパターンで聞くことが多いと思います。
トラブルが起きている場合は、このパターンは結構多いのですが、どうしたいのか、その結果どうなるのか。そして今回のトラブルからどういう事が得られたのか。それについて聞くと僕もトラブルを擬似的に体験したような気になってとても勉強させられます。
僕はこういった質問をするとき、トラブルでの質問は、経験として勉強させてもらうことが多く、悩みについては客観的な立場にいることが多くあります。つまり聞く事ばかりでそのことから将来を想像することはあまりありません。
一方で新しいことを始める場合は、僕は色々と考えを巡らせます。特に仕事でも遊びでも、その人の性格を知っている場合に、「この人がこう言っているということは、こうなるな」と、先を考えることはとても面白い事だと思います
最近では、将来に影響を与えるような重要な分岐について何となくわかることが多くなってきました。だから特に結果がある程度見えてきた時点で、「最初の頃に○○って僕が聞いたときに、○○って答えたんだよね。そのときの僕の懸念が今まさに顕在化してるじゃん」という話がたまに出てきます。
ただし、新しいことを始める場合といっても、明確に区切れていないこともあるので、その判断が難しいところです。そしてそのときは時間とともに考え方が少しずつ推移しテイクので、その変化を見逃さないことが重要です。
例えばグレーな仕事をする場合とか、友達関係とかについての何かがあった場合に考え方が大きく変化するので面白いですね。
こういう事はある程度先が見通せたという意味でうれしいことでもあります。一方でいいことならともかく、悪いことも多いのでちょっと残念にも思います。