2006年10月21日
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最近、友達と話をしていると前置きとして「このことは blog に書かないでね」と言われることが増えてきました。昔にも少しあったのですが、最近は結構顕著です。だいたい読者数が少ないのに言われるって事は、読んでないけど書いているのは知っているという状態で、書くことを拒否しているということですね。確かに自分が知らない範囲で、どのようにかかれているかわからないと不安になるという気持ちは理解できます。
ただし注意してほしいのは、この blog で個人が特定できる場合というのは非常に少ないと思います。見ず知らずの人は当然特定できないでしょうし、友達のなかにも特定できる記事は少ないと思います。そのように書いていますし。また万が一特定ができてしまう場合は非常に慎重に記事として取り扱っていると思います。そのつもりです。
逆に特定できる場合は、本人がある程度覚悟している場合とか、トラックバックなどで露骨につながりを示す場合がほとんどです。
ただ書かないでほしいと言われるような記事は確かにデリケートな問題であることも事実です。周りから見た場合には他愛もないことが多いのですが、確かに本人にとっては大まじめで真剣な問題です。
これは僕が blog の記事にしないと考えている、家族、恋愛、性、に通じる物があります。ただ性的な部分は少しずつ書いてもイイかなぁという精神的変化は生じていますが・・。
またデリケートな問題だからこそ、僕の考えを通してデフォルメをされるのがイヤというのもあるかもしれません。僕は blog では僕が思ったこととか感じたことをその通り書いているつもりです。ただ色々話を聞いてみると、少し大げさに書いているとか、都合よくかかれているという指摘を受けます。こればかりは僕では理解できないので、本当のことなんでしょう。
「そうなるとこっちは真剣なのにお前がおもしろおかしく書くな」となってしまいます。その指摘はもっともだと思います。
ただ僕としても、秘密にしたいような内容の話こそ書きたいと思うのも事実です。やっぱり真面目な話は面白いですからね。いずれその話が思い出となって書くことについての許可が出た場合は何らかの形で記事にしたいと思います。
ただし注意してほしいのは、この blog で個人が特定できる場合というのは非常に少ないと思います。見ず知らずの人は当然特定できないでしょうし、友達のなかにも特定できる記事は少ないと思います。そのように書いていますし。また万が一特定ができてしまう場合は非常に慎重に記事として取り扱っていると思います。そのつもりです。
逆に特定できる場合は、本人がある程度覚悟している場合とか、トラックバックなどで露骨につながりを示す場合がほとんどです。
ただ書かないでほしいと言われるような記事は確かにデリケートな問題であることも事実です。周りから見た場合には他愛もないことが多いのですが、確かに本人にとっては大まじめで真剣な問題です。
これは僕が blog の記事にしないと考えている、家族、恋愛、性、に通じる物があります。ただ性的な部分は少しずつ書いてもイイかなぁという精神的変化は生じていますが・・。
またデリケートな問題だからこそ、僕の考えを通してデフォルメをされるのがイヤというのもあるかもしれません。僕は blog では僕が思ったこととか感じたことをその通り書いているつもりです。ただ色々話を聞いてみると、少し大げさに書いているとか、都合よくかかれているという指摘を受けます。こればかりは僕では理解できないので、本当のことなんでしょう。
「そうなるとこっちは真剣なのにお前がおもしろおかしく書くな」となってしまいます。その指摘はもっともだと思います。
ただ僕としても、秘密にしたいような内容の話こそ書きたいと思うのも事実です。やっぱり真面目な話は面白いですからね。いずれその話が思い出となって書くことについての許可が出た場合は何らかの形で記事にしたいと思います。