2006年10月22日
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深層に根ざした差別心というのは非常に大きな問題だと思いますし、仕方のないことだとも思います。例えば僕は前の会社で目の見えない人がいました。今でこそ、どの程度の距離感が必要なのかわかりますが、最初の頃はそれがわからなかったので恐怖すら感じた物です。

こういった場合にわからなかったのは、健常者として接するべきなのか、障害について意識して接するべきなのか。ということです。

食事などのちょっとした行為一つとってもそうなのですが、目が見えないというのは箸の位置や食器の位置など全くわかりません。じゃあどこまで案内するのが適切なのか。結局その人は箸の位置だけを教えたら自分でうまく食事をしていました。たぶんその距離感がその人にとって大切なんだと思いました。一方で、すべて案内していたら、僕自身が面倒を感じて、一緒に食事したくないなという気持ちが芽生えることは嘘ではありません。

もちろん、箸の位置の他には汁物とか熱い料理は、別途注意を促します。手探りで食器とかを見つけるので、倒したりすれば大変ですし。しかしそれだけを案内してしまえば食事をしながらの会話もできますし、ナイフやフォークも器用に使用していました。

さて、そういう初めての体験というのは色々考えさせられる場面があります。

僕の友人で警察に捕まった人がいます。

罪状の内容についてはあまり深く書きませんが、僕が確か大学1年ぐらいの時だったと思います。高校が一緒だったのですが、大学に入ってからはたまにしか会いませんでした。

逮捕を聞いたときは、確かお茶している時だったと思います。入学した直後は、僕も新しい環境で色々ストレスがありましたし、逮捕された友人とは別の友人も就職のストレスがあったようで、ちょくちょく会っては話をしていました。僕が大学とかアルバイトのこと。友人は就職先のことなど。そのとき「○○が捕まったって知ってる?」といわれたのです。その友人も詳しいことは知らなかったらしいのですが、とにかくそれは事実だと。

後から知った話ですが、逮捕されたのは恐喝(未遂?)と傷害だったと思います。正確には覚えていません。あとは、未成年だったと思うので正確には少年刑務所?に行ったのかもしれません。この辺は全くわからないです。ただ、数ヶ月戻ってくることはありませんでした。

こういう時に性格がよく表れるのですが、それをきっかけに縁を切る人や、距離を置く人。同情をする人などです。この場合には、それぐらいしかありませんでした。捕まることによって逆に仲良くなる人というのはいませんでした。

僕は、結果的にその友人との距離は変わりませんでした。とりあえず出所するまでは連絡を取れませんでしたし、高校の時からある程度性格を知っていたので、捕まることについては特に驚きませんでした。

今となって振り返ってみても、とくに今の距離のまま、そのときの距離感でいいとおもっています。僕の性格の場合、悪い方向に引きずられることも絶対にないですし、変な影響を受けることも絶対ありません。

出所してから、友人と会いました。直後だったので、妙に緊張したのを覚えています。どんな話をするべきか。どこまで知っている態度でいればいいのか。デリケートな問題に直面するのは苦手ですから、慎重に言葉を選ぼうと考えていました。

友人は努めて明るくしゃべっていました。自分の犯したことを半分冗談のようにも表現していました。しかし終始感じたのは尋常ではない反省をしているということでした。誤解を恐れずに言うのであれば、この友人がここまで "もうしない" という考えを持っているのかと正直以外でした。もちろん、根は優しい友人なんですけど。

今はあまり会っていませんが、毎年年賀状の交換だけしています。また会いたいなぁ。今では結婚もして一児の父ですよ。

そして本題である続きは明日。


stock_value at 13:55│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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