2006年10月23日
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昨日は逮捕された友人と僕の距離感について書きました。今日のが一連の記事の本題になります。

最近、友人から「仲のいい友人が捕まった」という相談というか話を聞きました。そして僕は先日の記事のような経験・体験をしているということが前提で話をしました。本当は blog に書かないでほしいと言われていたのですがごめんなさい。

話をしてきた友人は「逮捕された友人とは距離を置く(縁を切る)」と言っていたのです。その友人はほとんどすべてがすべてそうなのですが、色々考えるのはいいのですが、プロセスと結論に問題が多く、いつもそのことについて僕は指摘をしていました。そのことについてはまた別の機会で。

さて、その距離を置くという結論はなぜ出たのか聞きました。色々と理由をつけて考えているのでしょうが、距離を置くという結論ありきのように聞こえました。

僕としての意見は
・犯罪を起こす前と起こした後の性格の変化
・罪の重さ
・自分の立場、相手の立場。

が主な問題点だと思いますし、どれもデリケートで重要な問題です。

犯罪を起こした事実は消え去らないことです。しかしなぜ犯罪を行ったのか。特に犯罪を起こす前と起こした後に明確な変化があるのか。それが大切です。友人はわかりませんが、僕は少なくとも犯罪歴を見て友人を選んだりはまずしません。もちろん、距離とか親しさに変化が起こる可能性は否定しません。にもかかわらず犯罪を起こした時点で、縁を切るというのは少し安易な気がします。性格に大きな変化が無く、これからも今までと同じようなつきあいができるのであれば、わざわざ縁を切る意味というのはあるのでしょうか。

あとは犯罪の種類にもよります。殺人とかだと、さすがに今までと同じようなつきあいをするのは難しいでしょうし。窃盗などであれば、家に招待するのは難しいと思います。信用というのはそういう物でしょうし、反省の度合いとは別だと思います。それについては、本人もある程度の自覚が必要ですし、こちらがそれについて気を遣う必要はありません。
ただし、窃盗とかであれば、家庭環境などもあるので、昔は貧乏だったけど今は働いて収入もあるような状態であれば、そこまで疑う必要も無いとは思います。その辺は臨機応変にです。そして話を聞いた友人が言うには、僕の主観では、"縁を切らなければならない"ほどの重大犯罪でも無いような気がします。

そして自分の立場と、相手の立場です。前回の記事のように逮捕というのは相当な精神的プレッシャーがあるようです。もちろん犯罪を犯したのだからそんなことは当たり前です。しかしそのプレッシャーを受けている友人を目の前に、自分が縁を切ることによってさらに追いつめるような事は意味があるのか疑問です。そして縁を切るような事はとても簡単ですが、安易に追いつめるよりも、むしろそういった反省を友人の立場から促すこともできるのではないでしょうか。

そして上記のことから僕の結論としては、縁を切るというカードは温存しつつ、出所してからの状態を見極める意味でも、しばらくは様子見も含めて仲良くしておけばいいのではないか。ということです。

というよりもそもそも縁を切る理由が見つからないし・・。ちなみに犯罪歴の有無で友人を決めるという基準を持った場合、大抵の交通違反は犯罪歴になるので、その辺の正当性を聞いてみたいですね。

そして上記の話を伝えたところ、どうやら縁を切るというのはとりあえずやめておくようです。しかし今度は別の問題が発生しています。このあたりについても記事にしたいですね。


stock_value at 13:56│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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