2006年12月21日
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僕はSEなので、理論的な発想をする友人が非常に多くいます。当たり前ですが、感性ではSEはつとまりませんので、それは職業的にも必要なことです。職業に就いてから、感性を失った場合もあるでしょうし、おそらくほとんどは、理論的な考えを持っているからSEに就いたという事だと思います。

職業に関係する友人はほとんどが理論的なのですが、仕事とは関係のない友人は、音楽を勉強している人が非常に多くいます。おそらく僕はそういう感性が重要な職業の人と比べると、よっぽど理論的だと思います。しかし、一般的に考えて、その感性があまりにもかけ離れている人とは友人関係になるのは難しいのではないでしょうか。そもそもの発想が違うわけですから。

にもかかわらずある程度の交流が行えるので、この場合は、僕が感性的な発想を少し持っている・相手が理論的な発想を少し持っていることにより、一部重なる領域があるということでしょうか。

さて、この感性を持つ人というのは理論的な感情を持つ人から見れば非常に魅力的に写ります。しかしどんどん仲良くなる過程で受け入れられない部分が大きくなり、最終的に破綻する事が多いようにも思います。感性的な人は、自身の気持ちにあまりにも正直な結果、心ない一言がどうしても出てきてしまいますし、そのあたり理論的な人からすれば、配慮がないということになるでしょう。

少し前のことですが、僕の友人が音楽系の職業の人と恋愛をすることになりました。そしてそのときに、上記の事を、本当に注意するようにとアドバイスをしておきました。特に、依存のしすぎと、ケンカの時に理性的でいるという部分について重点的に言いました。結局しばらくして別れてしまったようですが、そのときに「感性で行動する人は疲れる」という一言が印象的でした。

感性がゆたかな場合、表面的な部分よりも心の奥底に響くような行動が多くあります。こう言うときに、僕はなるべく依存しないように警戒してしまいます。感性型にのめり込むのは非常に恐怖だと僕は考えています。

人としては、喜怒哀楽がはっきりしていてとても魅力的なのは言うまでもありません。


stock_value at 16:45│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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