2007年03月05日
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blog を書き始めてもう結構な日数がたっています。日々のことをたくさんネタにしているので、読み手が "自分のこと書かれてる" と認識する場合も多くあります。実際に書いていることも多くあります。

僕が記事にしていることは、批判っぽく書いてあったとしても、僕自身はあまり意識していないことが多いです。批判と言うよりは自戒の意味がとても大きいです。そしてそれを将来読み返したときに、反省できるように。再度自戒できるように怒りを感じた場合にも、それについて詳細に書きます。ただし怒りにまかせて記事を書いている場合は、心ない一言があったりと、それこそ僕が反省するべき点が多々あるのも事実です。そういう意味では、僕の記事を友人が読んだ場合、心ない一言を受け入れる優しさに、僕が依存しているということです。みなさん、ありがとうございます。

先日もそういう事で誤解を与えてしまった出来事がありました。

その記事は、書かれている人が関わった組織でのできごとなのは事実です。そしてあまり好意的に書いてない記事でした。で、その人は自分の事を書かれていると誤解をし、僕にそのような経緯に至った理由をメールしてくれました。

しかしながら僕としては、その人を想定して書いたのではなく、別な人を想定して書いていました。その想定している別な人というのは、勘違いした方とも面識があるため、どうしても誤解を与えてしまいやすい環境であったのは確かです。

ただもしその誤解を受けた人の事について、批判的な事を書くのであれば、おそらくもっと前に書いていたと思います。もうすでに1年以上のつきあいがありますから、ある程度性格が把握できてくる3ヶ月〜6ヶ月あたりで書くことになるかと思います。そういう意味でも今回の記事については関連していないということです。


そして今回改めて見直す事がありました。
理由を説明したい。というメールは比較的長く、丁寧に書かれていました。
ただ冒頭の文章の勢いから、きっとクレーム的な内容のメールになると容易に想像ができました。直接言って欲しかったとか、そんな内容です。確かにいきなりblogで批判的な事を書けば、それは裏切りにも近い行為だと思いますし。

しかしメールを読み進めていく中で、徐々に冷静な文章へと変化し、最終的には自己を振り返っていました。僕は大変ビックリしました。そういうことってなかなかできることではありません。特に興奮状態で「最悪な人だな」というメールを送ってしまえばすっきりするでしょうが、建設的な行為とはおもえません。そういうことを、興奮状態だとしてもしっかりと分析できるというのは大変にビックリしましたし、改めてすごさを実感しました。

今回の誤解で、何よりビックリしたのは、誤解を受けた人の事は批判的な目で今まで見たことがなかったという事です。ジャンルは違うにしても、一流の技術者ですからそういう部分で通じる所があると僕は理解していました。そういう意味では尊敬していますし敬意を持っています。

そんな人の事を、いきなり悪く書いたりはできません。そして読んでくれてるんだなぁという事を改めて実感しました。


stock_value at 17:50│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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