2007年04月09日
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僕の友人にはきれい好きな人がとても多いです。僕はチリ一つ無いまでのきれい好きではありませんし、それが特に逸脱しているとも思えません。

しかしきれい好きな人から見れば、僕のその感覚は「きたない」になるので僕はいつも注意されています。注意されると、その場だけとはいってもちゃんと行動するようになるので、昔に比べるときれいにする事がずいぶんと身に付いてきました。

さてそんな事が僕の中では大多数の意見・行動だったのでそれがほとんど常識のように感じていました。しかし最近、あまりきれい好きでは無い友人と一緒に行動をする機会がありました。

友人は使った物は使いっぱなしで片付けない、乱雑、そんな感じでした。僕はそういう人が最近では珍しいのでその理由を聞いてみました。「なんで使いっぱなしなの?片づけるのが面倒になるし、ちらかるじゃん」と。
友人はこう答えました。「きれいにすることを考えてたら(道具とかスペースを)ちゃんと使えないじゃん」と。僕は確かに一理あると思いました。使った後に片づけるのであれば、汚く使うことが問題だとは思いません。

しかしその意見には大きな問題点があります。それは上記のような意見を持つ人は、「片づけない」ということです。そもそも片づけが日常であれば、その毎日の行動の結果から、少しずつ「汚さない」ようになるはずです。散らかる→片づけるの繰り返しであれば、散らからないようにする。という発想はごく自然なことだと思います。
友人のその意見を聞く限りでは、とても普通の意見ですが結局行動が伴わない事になります。

僕としては非常に気になるのは、使い終わりがない物の場合はどうするのでしょうか。たとえばそれはテレビのリモコンもそうですし、ゲーム機などもそうだと思います。

きれい好きな友人は、今まで全員がテレビとの配線をはずして閉まっていました。もしくはテレビ台の中に、コントローラーのコードをきれいに巻き取りながら閉まっていました。どちらにしても、とてもきれいに閉まっていました。
テレビのリモコンにしても、他の機器のリモコンと一緒に丁寧に並べて置くようにしていました。そうなってないと気持ちが悪いそうです。

散らかしてから片付ける場合、そういうのはどうなるのでしょうか。ゲームであれば、一応電源を切るときが使い終わる時だと考えられます。しかしリモコンについては、使い終わりというのがありません。

こういった時に、友達がどのように片付ける判断をするのか大変興味深くあります。


stock_value at 21:25│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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