2007年07月05日
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よく「疑問を持て」そう言われます。その延長線上には考える事だとか、よりよく改善していくための気づきが必要などいうことに結びつくのだと思います。

また、ありがちなこととして、ミスが発生した場合には、ミスを責めるのではなく、原因究明をしてその原因を取り除くことがとても大切なことです。

そしてその なぜ を追求していくと、途中までは確かに仕組みとしての問題点が浮き上がってくることが多いのですが、それ以上になると、なぜの部分に明確な理由が無く、なんの解決にもならない場合が数多くあります。さらに、その場を切り抜けるための適当な言葉で取り繕うことが増えてきます。

特に一番の問題点は、なぜを追求する側とされる側の姿勢や労力に大きな違いがあると言うことです。

なぜを追求する立場は非常に簡単です。探求心の充足もかないますし、ただ聞くだけでそれなりの責任を果たしたようにも思えます。
一方で、聞かれる側は非常に大きなストレスになります。そもそも明確な理由が分かっていれば、そんなに大きな失敗をすることも無いでしょうから、細かい事の - 一見すれば簡単に回避できそうな - 積み重ねです。それらを "なぜ" に対する返答として用意すれば、当然理由にならない事を言うなと一喝されて終わりです。

だからといって、「なんとなく」とか「うっかり」というほとんど正確な事を理由として説明されても、それで満足行くとはおもえません。

今までは「なぜ」と問われる立場でした。しかし少しずつ「なぜ」と問う立場になりそうな今のうちに、色々考えて結論というか、考え方を身につけておきたいと思います。


stock_value at 11:58│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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