2007年07月19日
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通常、仕事というのは常に評価の対象となります。場合によっては批判の対象でもあります。
評価をされる時、成果物のクオリティの他に、その制作時間も重要な要素として評価されます。
ここでその評価が十分に客観的であればいいのですが、普通は自分だったり相対的な尺度になります。
このとき速度を中心とした批判があった場合、基準を明確に考えなければなりません。たとえば、評価をする人 - 上司 - を基準に相対的な速度を考えると、それは部下の方が遅くて当然となります。
上司は自分ですべてを決めて、すべて思い通りに行動することができます。場合によっては決裁権もあるでしょうから、契約関係についてはそういう立場の方が格段に早くなります。
もちろん日々の報告もそうです。仕事は終わらせるだけではなくて、それをわかる形にまとめるのにも相当な時間と労力が費やされます。
それらをふまえずに、部下の仕事の速度だけを考えると、いちいち決済を仰ぐ必要がある分だけ、速度は当然遅くなります。そして日々の報告の書類をまとめるのにも時間が必要です。
これらを考えると、遅いことは否定的に取られる必要は無いと考えます。
むしろ、上司の方が様々な権利があるのにもかかわらず、思いの外進んでない可能性が出てきます。
(ちなみに、上司がするであろう仕事の、チェック・確認・創造の仕事というのは、時間がかかるので、成果というのが見えにくい仕事でもあります。)
僕個人としては、決裁権や報告が無い場合は、ある場合と比べて、3倍ぐらい処理量が違ってくると考えています。
評価をされる時、成果物のクオリティの他に、その制作時間も重要な要素として評価されます。
ここでその評価が十分に客観的であればいいのですが、普通は自分だったり相対的な尺度になります。
このとき速度を中心とした批判があった場合、基準を明確に考えなければなりません。たとえば、評価をする人 - 上司 - を基準に相対的な速度を考えると、それは部下の方が遅くて当然となります。
上司は自分ですべてを決めて、すべて思い通りに行動することができます。場合によっては決裁権もあるでしょうから、契約関係についてはそういう立場の方が格段に早くなります。
もちろん日々の報告もそうです。仕事は終わらせるだけではなくて、それをわかる形にまとめるのにも相当な時間と労力が費やされます。
それらをふまえずに、部下の仕事の速度だけを考えると、いちいち決済を仰ぐ必要がある分だけ、速度は当然遅くなります。そして日々の報告の書類をまとめるのにも時間が必要です。
これらを考えると、遅いことは否定的に取られる必要は無いと考えます。
むしろ、上司の方が様々な権利があるのにもかかわらず、思いの外進んでない可能性が出てきます。
(ちなみに、上司がするであろう仕事の、チェック・確認・創造の仕事というのは、時間がかかるので、成果というのが見えにくい仕事でもあります。)
僕個人としては、決裁権や報告が無い場合は、ある場合と比べて、3倍ぐらい処理量が違ってくると考えています。