2007年08月09日
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価格と価値はどのような理由であっても、相当のレベルで収束していると考えています。割高とか割安という事はあると思いますが、それでも理解できる範囲での割高とか割安であれば、それは選択をする消費者の問題になってきます。

ただし、自分がサービスを提供する側である場合を考えたとき、確かに高品質なサービスを少数に提供するのか、大衆用のサービスをひろくあまねく提供するのか、考えなければなりません。
確かに高級なサービスを提供した方が色々な意味ですばらしいことだと思います。より心を込めてサービスを提供できるでしょうし、うわべだけでない本当の感謝がそこにはあると思います。

やりがいとか、質とかを考えたときに、高級なサービスは確かに大切な事です。
一方で僕は、大衆向けのサービスを提供する側でありたいと考えています。このあたりについては、若干の矛盾もあるのですが、僕自身はSEという中で、ある程度付加価値の部分を評価されていますし、僕の仕事として期待されています。という現実的な僕の立場と、それとは関係なく、スキルにあまり期待されなかったとしても、価格を安く提供できるというのは、重要だし大切な事だと考えています。

そしてこの部分の結論については、僕自身の中である程度結論がでています。改めて価格の高低とサービスの高低、満足度の高低を会話のネタにしても、あまり目新しい意見は出てきません。第一、高い価格で高品質なサービスはある意味当たり前ですし、低価格で低品質なサービスも当たり前です。
そして、低価格のサービスは顧客が多いので、一人当たりの満足度が低くても、顧客全体で見たときのサービスは非常に高まります。そして僕はそこに大きな価値を感じているので、低価格・低品質のサービスをあまねく提供するのが素晴らしいことだと思っています。

先日久しぶりに、高品質なサービスの提供の重要性を教えてもらいました。そしてそれはほとんど事実ですし、とても大切なことだと思います。
それは理解できるのですが、一部の人に最大限に喜んでもらうことについて、僕はあまり大切さを感じません。やはり大衆に向けて少しずつ喜んでもらうことが僕は素晴らしいことだと考えています。


stock_value at 21:30│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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