2007年08月28日
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僕は基本的に表現がおおげさです。ただちょっと困ったことに、その自覚がありません。
でも、わざと大げさに表現するときもあります。そしてこの場合にはちゃんと自覚があります。
逆に、相手から大げさに表現される場合もあります。このとき相手には自覚があるのかはわかりません。ただ僕にとっては、「大げさだなぁ」と思うわけですから、聞き手にとっては、大げさな表現をしていると気づきます。
僕が大げさに表現するのは、基本的に自分の事に関する場合や、大げさな方が面白い場合です。これであれば、最初少し大げさに表現しておいた方が会話の切り口として、目処を立てやすいと思います。
最近気づかされたのは、この大げさな表現がまずいときもある。ということです。それは主に、失敗や問題点の指摘の場合です。
数回の遅刻を「いままで何回も」という表現をされれば、また印象が違ってきます。少し合わない数字を、「全然合わない」と表現すればそれもまた、印象が変わってきます。しかもこの場合は、事実からも遠のいているような気もします。
自身にだけ直接作用する場合に大げさに表現するのは面白いですし、会話に起伏が出てきます。一方で、そういったミスの場合には今度は、小さい方に大げさに言うべきなのではないかと気づかされました。
でも、わざと大げさに表現するときもあります。そしてこの場合にはちゃんと自覚があります。
逆に、相手から大げさに表現される場合もあります。このとき相手には自覚があるのかはわかりません。ただ僕にとっては、「大げさだなぁ」と思うわけですから、聞き手にとっては、大げさな表現をしていると気づきます。
僕が大げさに表現するのは、基本的に自分の事に関する場合や、大げさな方が面白い場合です。これであれば、最初少し大げさに表現しておいた方が会話の切り口として、目処を立てやすいと思います。
最近気づかされたのは、この大げさな表現がまずいときもある。ということです。それは主に、失敗や問題点の指摘の場合です。
数回の遅刻を「いままで何回も」という表現をされれば、また印象が違ってきます。少し合わない数字を、「全然合わない」と表現すればそれもまた、印象が変わってきます。しかもこの場合は、事実からも遠のいているような気もします。
自身にだけ直接作用する場合に大げさに表現するのは面白いですし、会話に起伏が出てきます。一方で、そういったミスの場合には今度は、小さい方に大げさに言うべきなのではないかと気づかされました。