2009年12月11日
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友人の話です。数名の友人がそうなのですが、結構宗教に影響を受けているように思います。そして影響を受ける理由というのがなんとなくわかるので、それについて僕の考えをまとめておきたいと思います。

経営や部下の育成を行っているとき、また仕事をしているときに、自分の立場を性善説に置くのか性悪説に置くのか、については結構重要なことだと思います。大きな分岐点に立ったときに、自分がどのように判断するのか、よりどころになるので。

さまざまな経験をしていく中で、時期によって性善説であったり、性悪説であったりと、さまざまな立場に立つように、自分を変えることもありがちです。そして一通りそれらの体験を済ませると、結局「どうすればいいのかわからない」そのような結論になってしまいます。

また、教育や育成を行っているときも同様です。手取り足取り教えることは、メリットもありますし、デメリットもあります。逆に教えずに育成することも、メリットとデメリットがあります。しかし結局、「育つ人は育つ」「育たない人は育たない」そのような結論になることが多いように思います。成長速度の問題でしょうか。

こういった、どちらの立場でも「絶対正しい正解」というのはほとんどありません。こういった究極ともいえる迷いに対する結論が宗教だと思います。

「自分としてはわからない。でも○○はこういった」そのような形で宗教家の名前が出てくることが多いように思います。
影響を受けている友人たちについて、ある程度昔・・悩んでいる時期から交流がありました。そのため、考え方の変化を身近で見てきたつもりです。優秀だと考えるその友人がそのような結論に至ったことはとても興味深いと思いました。

※なお、新興宗教では無いですし、洗礼を受けるほど活動しているわけではないようです。しかし考え方や、行動に影響を受けるという人物を、歴史上の偉人(たとえば武将など)にせず、宗教家にしたことは興味深いと思います。


stock_value at 13:32│Comments(0)TrackBack(0)考え 

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