2010年08月11日
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僕の働いている会社では、来年の4月に新卒の新人が入ってきます。
会社でも受け入れ体制を色々と考えており、試行錯誤の中頑張っています。
特に中小企業にありがちな教育体制の不備がかなり目立っています。とはいっても、不備のままでは問題があるので、何とかしようと手探りで頑張っています。
その中で、とてもありがちな事ですが、悪い部分が見えてくることもあります。
その一つとして、信賞必罰の体制があります。
僕自身の教育方針と相容れないためにそのように思うのかもしれませんが、何をするにもアメとムチが用意されているように思うのです。
このような管理手法は、手っ取り早くコントロールすることには向いているかもしれません。たとえば議事録の記録が多いと評価が高い、発言が多いと評価が高い、日報の文章量で評価が高い、、、実際にそのような評価がなされているわけではありませんが極端なところそのようになってしまいます。
新人は教育担当者を選ぶことができません。そのため悪い担当がついてしまうと、その人の行動を大きく制約することになってしまいます。
僕はこの制度が何故問題なのか、以下の通りだと考えています。
・コントロールする能力が低いからアメとムチを行う
・「やらない」=運用に問題があることに気づきにくい
・強権的になる
・教育担当者に向上が無くなる
・モチベーションは大丈夫か?
メリットとしては
・とりあえず言うことは聞く
・結果が見えやすく判断しやすい
・積極性を促せる
等々です。
やりたくないことを率先してやることによって評価が上がるのはどうにも理解できません。やりたくないことは当番制にするなどして、持ち回りでやればいいだけであって、それを評価に結びつけて考えるのはいいことだと思えません。
またクオリティについての評価よりも、取り組むことだけに評価の始点を絞ることにも疑問です。
さらに「やらない」という状態は制度に問題があることがほとんどです。例えば日報を書かなければならないのに誰も書かないとすれば、それはサボっているということで、マイナス評定するか、業務量が多すぎてそこまで手が回らないと考えられます。サボっているならマイナス評価は分かりますが、業務量という問題もある中で、書くことを評価につなげるのはいかがな物かと思います。
そして上記のような状態でも、評価につながるために、やっつけで取り組むことは容易に考えられます。クオリティが低い物を提出された場合、それについてはどのように評価するのが正しいのでしょうか。
上記の通り、とりあえずの提出=結果がでるので、制度上の問題に大変気づきにくくなってしまいます。クオリティが低い日報について、本人の能力に問題があるのか、取り組む時間に問題があるのか、その他なのかわかりません。
結局の所、何かを決めて守らせる、やらせるというのは、本人に理解と納得があれば実行してもらえます。逆に言うと、やってもらえないっていうことは何かしらの問題を抱えていると言うことです。
僕自身は信賞必罰が大嫌いなので、なんとなく上記のような懸念を持ちましたが実際は堂なのでしょうか。まだ信賞必罰が決まったわけではありませんが、遅かれ早かれそのようになっていくと思うので注意していきたいと思います。
会社でも受け入れ体制を色々と考えており、試行錯誤の中頑張っています。
特に中小企業にありがちな教育体制の不備がかなり目立っています。とはいっても、不備のままでは問題があるので、何とかしようと手探りで頑張っています。
その中で、とてもありがちな事ですが、悪い部分が見えてくることもあります。
その一つとして、信賞必罰の体制があります。
僕自身の教育方針と相容れないためにそのように思うのかもしれませんが、何をするにもアメとムチが用意されているように思うのです。
このような管理手法は、手っ取り早くコントロールすることには向いているかもしれません。たとえば議事録の記録が多いと評価が高い、発言が多いと評価が高い、日報の文章量で評価が高い、、、実際にそのような評価がなされているわけではありませんが極端なところそのようになってしまいます。
新人は教育担当者を選ぶことができません。そのため悪い担当がついてしまうと、その人の行動を大きく制約することになってしまいます。
僕はこの制度が何故問題なのか、以下の通りだと考えています。
・コントロールする能力が低いからアメとムチを行う
・「やらない」=運用に問題があることに気づきにくい
・強権的になる
・教育担当者に向上が無くなる
・モチベーションは大丈夫か?
メリットとしては
・とりあえず言うことは聞く
・結果が見えやすく判断しやすい
・積極性を促せる
等々です。
やりたくないことを率先してやることによって評価が上がるのはどうにも理解できません。やりたくないことは当番制にするなどして、持ち回りでやればいいだけであって、それを評価に結びつけて考えるのはいいことだと思えません。
またクオリティについての評価よりも、取り組むことだけに評価の始点を絞ることにも疑問です。
さらに「やらない」という状態は制度に問題があることがほとんどです。例えば日報を書かなければならないのに誰も書かないとすれば、それはサボっているということで、マイナス評定するか、業務量が多すぎてそこまで手が回らないと考えられます。サボっているならマイナス評価は分かりますが、業務量という問題もある中で、書くことを評価につなげるのはいかがな物かと思います。
そして上記のような状態でも、評価につながるために、やっつけで取り組むことは容易に考えられます。クオリティが低い物を提出された場合、それについてはどのように評価するのが正しいのでしょうか。
上記の通り、とりあえずの提出=結果がでるので、制度上の問題に大変気づきにくくなってしまいます。クオリティが低い日報について、本人の能力に問題があるのか、取り組む時間に問題があるのか、その他なのかわかりません。
結局の所、何かを決めて守らせる、やらせるというのは、本人に理解と納得があれば実行してもらえます。逆に言うと、やってもらえないっていうことは何かしらの問題を抱えていると言うことです。
僕自身は信賞必罰が大嫌いなので、なんとなく上記のような懸念を持ちましたが実際は堂なのでしょうか。まだ信賞必罰が決まったわけではありませんが、遅かれ早かれそのようになっていくと思うので注意していきたいと思います。