2012年01月09日
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今までいくつかのイベント毎を行ってきました。
2005年05月20日:大イベントの計画と実行。(上)
2005年05月21日:大イベントの計画と実行。(下)
2011年07月26日:大規模なイベントと小規模なイベント
2011年09月03日:説明をしなければならない。

今回もそのまとめです。

今回のイベントでは、主催者側で意見を集約しながら進めていくという手法をとったため、色々な意見が飛び交いました。もちろんほとんどは、発言者が遠慮がちだったり、自由な発言ができたのかは別として、非常に理論的に、建設的に話は進みました。

しかし一部の意見は、とてもではないけど、見当違いな意見が出てきました。僕はリーダーシップ性は無いのですが、唯一リーダーとして、らしい行動をするべきなのは、こういう意見に対峙したときだと思っています。

見当違いの意見であっても、拾い上げつつ否定をせずに自分の意見や総意となっている意見を述べることがとても大切だと考えています。

しかし例えば全部決まってあとは当日を迎えるだけ。できる準備はほとんどしたし、些末ないくつかのことは、当日みんなで協力してうまくやろうね。っていう状態で意見が一致しているのにもかからず。そういうときに限って、「もし赤字になったときは誰が負担するんですか」という、それを今検討するのが正しいことだとは思えないようなことを議題にしてくるのです。

当然、僕はお金や収支についてはかなり慎重に考える方です。だからまずまず大きな赤字にはならないでしょうし、なったとして、そして最悪でも自分一人で負うことができる程度だと思っていました。だからこそ、その一人でも終える程度の金額をもしみんなで均等に負担することになったとしても、一人当たりの負担はせいぜい1000円とか、高くても3000円とか。(トータルで最悪の場合でも赤字は1万ぐらいに収まると思っています)

趣味として、この金額を負担する程度であれば、僕としては全く問題ありません。それよりも、その程度の金額で、ここまでの色々な実験的なリーダーシップであったりとか、諸々の企画の現実性であったりとか。そういうことを試させてもらえただけでも、十分にその金額以上の価値があると考えています。

またもしそのような議論をするのであれば、もっと最初の段階であり少なくとも、あとは「当日を迎えるだけ」という状態でそのような議論をするのは適切だとは思いません。期日が近くなってからしなければならないのは、成功のイメージを高めて、楽しい想像をふくらませることだけです。
近くなってからのマイナスなイメージは意味がありませんし、邪魔になります。

また僕自身はすべての思考はすべて収支と結びついており、それは再三にわたって説明をしてきました。こういう根拠でこれを当日は用意します。そしてそれはこのコストで、このぐらいの収益が見込めます。と。それがすべての積み上げの基礎になっているわけですから、普通は金銭の心配は出てこないはずです。出てきても、前述の通りわずかですから、それを誰かが一括で負うのか、みんなで負担するのかにしても、大きな額にはならないことが明白です。

しかしながら、そのような意見が出てくるのです。とても驚きました。そして案の定僕以外の方から「今はそんなことよりも成功させる方法を考えましょう」などという意見が出てしまうのです。

僕はその意見の真意は、「みんなが忘れているだろうことを、俺はちゃんと考えてるんだぜ」っていう意味なのだと思いました。そうでなければ、もうみんながすでに懸念材料とは思っていないことを蒸し返す意味がないから。自分はちゃんとコスト意識も持ってるんだよっていうプライドのようなものが無ければ、そしてそれをアピールする意図がなければ、なんの意味も無いと思ったのです。


本人にそれとなく探ってみると、とても驚くことを言っていたのです。「金銭的なことは重要だから、あえて厳しいことだとは思いつつも発言した」と。

なるほど、結局みんなが共有しているだろう金銭面のことが全く共有されていないんだと僕は知りました。その結果見当違いの意見になってしまっていると。

ただし僕はそれを否定的にはとらえていません。本人のそのような意見が出せる環境を提供できたことは一つよかったことだと思います。しかし金銭面に関する懸念が一人でも共有できなかった人が出てしまったことには、僕自身の明確な主張が少なかった(足りなかった)せいかもしれません。

こういう意見に触れて、とても僕は勉強になりました。


stock_value at 21:10│Comments(0)TrackBack(0)考え 

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