2012年12月30日
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僕は神社仏閣が好きです。だから年間を通してお参りをすることは比較的多くあります。このブログでも、たまにそういう記事も書いています。2012年08月04日:川崎大師の風鈴市

年に1回は必ず浅草にも行きますし、近所の神社やお寺などにも頻繁に行きます。地方のそういう場所があるときには参拝をしています。

ルールやしきたりなどはあまりよく分かりません。礼や柏手などに決まりがあるようですが、そういうことは僕はあまり気にしていません。
脱帽とか敷居とかそちらの方が何となく気になってしまいます。

で、そういう話をすると、そういう信仰心などの場所には興味なさそう。そのように言われます。確かに僕自身は信仰心などは薄い方で、自分以外を頼るという考え方はあまり僕の考え方とは相容れません。しかし苦しいときの神頼みという訳ではありませんが、とにかく誰かにすがりたい。そのように考えるのは自然なことです。

しかし苦しいときばかりにお願いをしていると、おかしいと思うようになりました。なんで神様に対して苦しいときに、「早くラクにしてくれるように」お願いをしなければならないのか。と。

本質は、「苦しいことが起きないように」と、お願いをするべきです。神様もきっと、苦しい状態を取り除くよりも、現状を維持するようなお願いの方が聞きやすいですよ!

だから僕は、お参りをしてお願い事をするとき、なるべく抽象的なお願い事をするようになりました。具体的な「○○をしたい」というのは、自分の努力で解決をするしかありません。一方で、漠然としたことは、努力のしにくいことでもあります。
例えば、「試験に合格するように」というお願いは、頼りすぎだと思います。「実力を発揮できるように」というのが正しいと思います。
「病気が治りますように」も仕方のないことですが、できれば健康なうちから、「病気にならないように」というお願いをしたいですね。

ここ数年は、僕はとても満足のいく毎日を送っています。だからお願い事をするときも、必ず現状がこのままの状態で維持されるように。そのようにお願いをしています。これ以上の何かを望むなんてことは、贅沢すぎる。そのように考えているのです。


stock_value at 18:09│Comments(0)TrackBack(0)日々:2012年 

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