2014年05月11日
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友人が、落語をやっています。
プロを目指すというわけでは無く、素人として趣味でそれをやっているようです。
以前にも落語を聞きに行きました。
2012年06月27日:友人の落語を聞いてきました。
前回落語を聞いた印象では、ハッキリ言ってしまうと、なんら問題はなかった。という感じでした。
もちろん話の内容はおもしろかったですし、笑いも起きていました。
鑑賞していて不満は全くありませんでした。しかし、だからこそそのときに気づいたのですが、落語というのは完成された形をどこまで洗練させることができるのか。それが重要なのでは無いかと。
また、友人が舞台に立っていると、鑑賞するにしても精神的に違います。何となく不安というか、ハラハラするような。そういう感じが出てきます。
今回は、時そばというネタでした。これは大変有名なお話ですし、レッスンなどもやりやすいのかと思います。
しかし、このネタは我々も話をよく知っているわけですし、ネタの完成度を見てしまうような、そういう部分も出てきてしまいます。しかも時そばは個人的にも大変興味深い作品で、Wikiを調べたりなどもしていました。
で、結論をいうと、大変すばらしい完成度でネタを披露していました。おもしろかったですし、ハラハラするようなところはほとんどありませんでした。ネタも純粋に笑えましたし、話のタイミングや間は完璧でした。
おそらく数年間落語を練習しているのでしょう。そういう意味で基礎的な実力が上がってきていたのだと思います。その中での時そばというネタは大変もおもしろいものでした。

プロを目指すというわけでは無く、素人として趣味でそれをやっているようです。
以前にも落語を聞きに行きました。
2012年06月27日:友人の落語を聞いてきました。
前回落語を聞いた印象では、ハッキリ言ってしまうと、なんら問題はなかった。という感じでした。
もちろん話の内容はおもしろかったですし、笑いも起きていました。
鑑賞していて不満は全くありませんでした。しかし、だからこそそのときに気づいたのですが、落語というのは完成された形をどこまで洗練させることができるのか。それが重要なのでは無いかと。
また、友人が舞台に立っていると、鑑賞するにしても精神的に違います。何となく不安というか、ハラハラするような。そういう感じが出てきます。
今回は、時そばというネタでした。これは大変有名なお話ですし、レッスンなどもやりやすいのかと思います。
しかし、このネタは我々も話をよく知っているわけですし、ネタの完成度を見てしまうような、そういう部分も出てきてしまいます。しかも時そばは個人的にも大変興味深い作品で、Wikiを調べたりなどもしていました。
で、結論をいうと、大変すばらしい完成度でネタを披露していました。おもしろかったですし、ハラハラするようなところはほとんどありませんでした。ネタも純粋に笑えましたし、話のタイミングや間は完璧でした。
おそらく数年間落語を練習しているのでしょう。そういう意味で基礎的な実力が上がってきていたのだと思います。その中での時そばというネタは大変もおもしろいものでした。