2014年08月17日
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かつて別のブログを書いていたときに、ずいぶんと攻撃的な内容のコメントを頂いたことがありました。そういうコメントを頂くことはマレにありましたし、その攻撃的なコメントの内容もごく普通の事だったので、あまりに気にもとめていませんでした。
しかしながら、そのときは明らかな誤読とともに大変に強い攻撃的な言葉で繰り返しコメントを頂いたのです。
僕としては、そのような意図で書いてないし、そのような意図で読み取ることの方が難しい。そういうことをコメントで丁寧に説明をし、そうしたやりとりが続きました。
例えば僕が「○○という食べ物は臭いがきつくて好きではありません」という内容で書いたときに、「○○という食べ物が好きな人もいるのだから、嫌いというのは一方的で暴論だ」という感じのニュアンスでした。そもそも個人的な好き・嫌いのことを書いているのであって、その食べ物が好きな人や嫌いな人について言及しているわけではありません。しかし、そのように読み取れるという主張が大変に強く、それはどのように指摘しても、その方の意見が変わることはありませんでした。
僕は相手の質問にはしっかりと回答していたつもりでした。しかしその相手の方はその回答をさらに誤読して、新たな攻撃をしてくる。そのような悪循環が続いていました。
それでも僕は、誤読は仕方が無いという気持ちの他に、そういう誤解を生むような表現は気をつけよう。そのように感じました。が、それ以上のことは特に何も気にせずにブログを続けていました。するとある時をもってその方はコメントをしなくなりました。
その後になって、それは数年間が経過して。。。また久々にその方からコメントを頂いたのです。
あのときはずいぶんと攻撃的なコメントをしてしまい大変申し訳ない。自分も若かったのかも。そういう感じのコメントでした。
僕は当時のやりとりは印象に残ってはいますが、謝罪を受けるようなやりとりだという実感はありません。そのため、謝罪されても。..困ったなぁというのが正直な気持ちでした。
ただし、こうした謝罪については、僕がそれとなく受け入れることによって、おそらく本人が納得すると思いますので、これでいいのだと考えています。
若気の至り?なのかも知れませんが、攻撃的なのは困ってしまいますね。

しかしながら、そのときは明らかな誤読とともに大変に強い攻撃的な言葉で繰り返しコメントを頂いたのです。
僕としては、そのような意図で書いてないし、そのような意図で読み取ることの方が難しい。そういうことをコメントで丁寧に説明をし、そうしたやりとりが続きました。
例えば僕が「○○という食べ物は臭いがきつくて好きではありません」という内容で書いたときに、「○○という食べ物が好きな人もいるのだから、嫌いというのは一方的で暴論だ」という感じのニュアンスでした。そもそも個人的な好き・嫌いのことを書いているのであって、その食べ物が好きな人や嫌いな人について言及しているわけではありません。しかし、そのように読み取れるという主張が大変に強く、それはどのように指摘しても、その方の意見が変わることはありませんでした。
僕は相手の質問にはしっかりと回答していたつもりでした。しかしその相手の方はその回答をさらに誤読して、新たな攻撃をしてくる。そのような悪循環が続いていました。
それでも僕は、誤読は仕方が無いという気持ちの他に、そういう誤解を生むような表現は気をつけよう。そのように感じました。が、それ以上のことは特に何も気にせずにブログを続けていました。するとある時をもってその方はコメントをしなくなりました。
その後になって、それは数年間が経過して。。。また久々にその方からコメントを頂いたのです。
あのときはずいぶんと攻撃的なコメントをしてしまい大変申し訳ない。自分も若かったのかも。そういう感じのコメントでした。
僕は当時のやりとりは印象に残ってはいますが、謝罪を受けるようなやりとりだという実感はありません。そのため、謝罪されても。..困ったなぁというのが正直な気持ちでした。
ただし、こうした謝罪については、僕がそれとなく受け入れることによって、おそらく本人が納得すると思いますので、これでいいのだと考えています。
若気の至り?なのかも知れませんが、攻撃的なのは困ってしまいますね。