2004年10月31日
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さすがに思春期ではないので、親と行動することについて、
恥ずかしいとか、そういった感想を持つことは少なくなりました。

一方で、小さいときからずっと一緒にいるせいもあって、
意見が合わないところも多いな。と思う機会が増えました。

親というのは、ありがたい部分が大半ではありますが、
たまに非常に恥ずかしい存在に感じることもあります。

そして今回書く話は、「僕の親ではない」ということを前置きしますが、
もし、僕の親であれば非常に恥ずかしいなぁというネタを書かせてもらいます。

その事件があったのは、結構昔で僕が小学生のころです。
授業参観があり、先生が見学にきている保護者に対して、ありがちな質問をしたのです。
「現在、地球環境の悪化が叫ばれていますが、地球を人間にたとえると、どのような状態
だと考えますか?」

1.健康
2.軽症
3.重症
4.危篤

という質問でした。

なお当時の時代背景としては、湾岸戦争があり、石油プラントが爆撃され、
石油の配管が燃え上がる姿や、後に直接関係無いと分かった、「重油まみれの鳥」
などが大々的に報道されました。酸性雨などもこの時期から有名になったような気がします。

また、僕はそのとき小学校 5-6 年生ということもあり、ちょうど新聞やニュースに興味を持つ年齢ということから、
社会科の授業では積極的にそうした時事問題が取り上げられていました。

そうした授業や社会的な背景があり、参観日には、生徒としても積極的に意見が言いやすく、
また親としても、しっかりと考えられるという狙いがあったのでしょう。

で、上に書いたような質問でした。

僕たち生徒が、その質問を授業で始めて聞いたとき、
ほとんどの人が「重症」で手を上げていました。僕も、軽症か重症で悩んだ結果、
重症を選択したことを覚えています。
「健康」はさすがに0人で、
軽症が3割ぐらい、重症が7割ぐらい、危篤は数名といった分布でした。

そして、同じ質問を授業参観の日に、保護者に対してしたときに、
なんと「健康」で手を上げた親がいたのです。涼しい顔して。

ちなみに、僕の父は「危篤」で手を上げました。(覚えてませんが、母も重症とかそんなんだと思います)
危篤っていうのもどうかと思いますが、危機意識が強いということで、
特に恥ずかしいってことはありません。

授業参観直後は、特になにもありませんでしたが、後日、その友達の親のことでとても話題になりました。


別に、みんなと違うことをするのは、問題ありません。むしろいいことです。
しかし、当時環境問題についてとても騒がれていたにもかかわらず、健康というのは・・。
勇気があるというかポジティブというか・・。


stock_value at 17:39│Comments(2)TrackBack(0)日々:2004年 

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この記事へのコメント

1. Posted by masaito83   2004年11月01日 19:49
親が恥ずかしい時期って、俺にもあったような気がする。

でも一人の息子を育てている今は、昔と違った印象で
親と接することが出来る。

親には親の人格があり個性がある、子供には子供の人格が
あり個性がある。

それを認められる様になって来た。

親が子供に対し、無理に自分の価値観を植え付ける為の
教育をしてしまうケースが多い様に感じる。(自分も含め)

虐待などを含め、子供の生命を脅かす事は許される行為
ではないが、どうしても親は自分の価値観で子供に接する。
善悪は別として、それが親の個性なのだから、仕方が
無い事だか・・・

子供は、親と接する時に、甘えの部分も含めて、軽くあしらう
傾向がある。(自分もそうだった)

もし俺が、子供からそんな態度を取られたら、間違い無く
鉄拳が炸裂するんだろうな・・・
こうやって、更に子供との溝が広がるのは判っているのだが。





あえて、この話題以外のことを書くけれど、気にしないで欲しい。
「こっそりと」を結構遡って読ませてもらった感想を踏まえて
自分の経験と意見を書いたつもりと理解して欲しい。


今の世の中は、実力が物をいう時代。
人間関係を構築する技量も、実力の内。
仕事が出来れば、標準以上の報酬が得られる。
会社も仕事を出来る人間を大事にする。

俺は、今年4月から独立してやっと法人化までたどり着いた。
会社員時代には、小さい会社だったが、出世や賃金などの面で
全ての最年少記録を塗り替えて来た。

その中で一番勉強になったのが、「一人の力は一人分だけ」と言う
事だった。

俺は、高卒(18歳)で社会に出て営業を15年間続けた。
とっても出来が悪い新入社員で、なんと生意気な態度であったかと
今では、恥ずかしく思う。

生意気な新入社員に、親切な上司や先輩は仕事を教えてくれた。
しかし、一向に学生気分が抜けない生意気新入社員は、誰の目から
見ても、仕事の覚えが悪い。
そして、だんだん見離されて行くのがわかった。
それでも生意気新入社員は、「一匹狼ヨロシク」みたいな感覚で
あまり気にしていなかった。

仕事の覚えは悪い物の、一人でこなせる範囲が増えてきた。
こなせる範囲は増えても、判断までは任せてもらえない。
でも、売り上げはウナギ昇りに増加して行く。
売り上げが増えると、自然にこなせる範囲が広がる。
「俺はデキル人間」と、鼻が長くなりかけていたのかもしれない。

だんだん社内での折衝事が増えて来る。
増えれば増えるほど、染み付いた生意気な態度が邪魔をする。

こっちは、敬意を表して接しているつもりでも、どこかに生意気な
雰囲気が出てしまうのだろう。イメージもあっただろう。

困っていても、協力してくれるメンバーが集まらない。自業自得!
でも、仕組んだビジネスがどんどん花を咲かせる。
無理してでも、花は摘み取る。

お客様との約束を守る為に、毎晩23時頃まで残業して、足りなければ
休みを潰して、対応する。それでも充実感はあった。
そんな生活が2年ほど続いた。

もう一歩上を目指す為には、このままでは駄目だ!

この生意気なイメージを、認められるキャラに換える為に色んな事を
試しては、失敗した。
ここで変われなければ、俺の営業マン人生が終わってしまう。
そう考えて、必至に自分を変える努力をした。
最終的に変わったと実感するまでに3年かかった。

自己改革は、自然に仲間を呼んでくれた。
協力者が出て来たお陰で、帰りも早くなり休出もしなくなった。

何の仕事でもそうだけれど、どんなに優秀な人間でも、周りの
協力があって、初めてシステム的な実績を残している。
俺がやっていたのは、個人商店の延長線。
俺が居なくなったら、「受注激減」的な商売だった。

お馬鹿な俺は、この事に気付くまでに2年かかった。
チームプレーが嫌いで仕方なかった俺が、チームプレーを
出来るようになった。
置かれた立場で、最適な立ち振る舞いを考える。
難しい事だが、大事なことだ。

チームとして機能すれば、数倍の力が宿る。
チームプレーできない人間は、チームを引っ張ることも出来ない。


とは言っても、価値観があまりにも違う人間と仕事をするのは
無駄な時間を過ごす事に等しい。
そんな時は、思い切って自分で環境を変える事が大事だと思う。
現に俺は、それで会社を辞めた。

新入社員との事だけれど、自分の信念を持った上で、サラリーマン
だと言う自覚を持って働いて欲しい。
給料を貰っている以上は、その会社に対して自分の持てる最高の
パフォーマンスを発揮して欲しい。

それをしたくない会社なら、辞めたほうがいい。
それが出来ないのなら、愚痴や不平を言わず黙々と働くしかない。
自分のサラリーマン人生を楽しんで欲しい。
俺はそう思う。

ろくに背景も判らずに、余計な事を書いてしまったかもしれない。
気に入らなければ、削除して欲しい。
2. Posted by syo   2004年11月01日 21:34
masaito83 さん。

コメントありがとうございます。コメントを見るに、かなりしっかりと過去ログを見て頂いたと思います。しかも、コメントまでいただきまして。ただただ、感謝です。


> とは言っても、価値観があまりにも違う人間と仕事をするのは
> 無駄な時間を過ごす事に等しい。

から、最後の、

> 俺はそう思う。

までについて、お返事させて頂きます。かなり本質的な内容だと僕は思いましたので。

> 思い切って自分で環境を変える事が大事だと思う
という記述がありますが、僕はそのようには考えません。その理由は、変えようと思っても変わらないからです。
いくらなんでも、新入社員の意見が通るほど、組織は小さくありません。
参考意見を述べ、その中から会社の方向性を修正することはできます。
しかし、それでは変わった事にはなりません。
なおかつ、そんなことはしようとも思っていません。なにも、失敗が怖いとか、言うのが無駄だとかそういうことを言っているのではなく、
僕の場合は、起業が最終的なゴールです。
自分で起業したときに、大きな組織の凝り固まった姿を見ておくのは非常に重要だと考えているのです。つまり、自分の意見を述べて、変えようとする努力をし、変わる・変わらないにしろ、プロセスを見ることは大切なことです。
しかし、あくまでも、「プロセスを見る」のが最終的・最大の目的であって、「変えること」が目的ではありません。

ということから、変えるための努力はしません。


> 給料を貰っている以上は、その会社に対して自分の持てる最高の
> パフォーマンスを発揮して欲しい。
大変すばらしい ( 社長としての ) 意見だと思います。確かに、僕も社員、もしくはパートナーに給料を支払うのであれば、そう考えます。

しかし、僕の所属する組織では、頑張らないことが大切なことが往々にしてあるのです。僕一人が頑張って成り立つ仕事であれば、もちろん最大限に頑張ります。
しかし、僕の仕事の次に、誰かが後を引き継ぎ・・・。とやっていくので有れば、スピードや、能力の発揮よりも、他に大切なこともあります。特に僕のやっているような SE は。
また、最大のパフォーマンスを発揮して欲しいと思うのは社長や経営者であり、社員はできるだけラクしたいと思うのが普通です。そこを名誉や責任、金銭でバランスを取ることは非常に大切です。

> それをしたくない会社なら、辞めたほうがいい。
なかなか厳しいご意見ですが、難しいところです。
なにも、生活が・・ということではありません。というのも、僕は今の会社に就職しなければ、今の給料の一応2〜3倍近くは稼げてたので、辞めても稼げると思います。そんなことから辞めようと思えば辞められるという背景があります。

同期の友達と会話をすると、「もう半年たったし、辞めたいって思うときあるよね。syoくんは思ったこと無い?」というときに、
「僕は、今の会社で知識の習得が有るワケじゃないし、金銭的なメリットもほとんど無いから、辞めようと思うと、本当に辞めちゃうからそう思わないようにしてる」と答えています。

そう考えると、やっぱり「組織を見る」ってことは僕にとって非常に重要だなぁと改めて再認識するのです。

> それが出来ないのなら、愚痴や不平を言わず黙々と働くしかない。
コレも有る意味で怖いご意見ですね。
社長( 会社 ) > 社員 という不等式は成り立たないと考えています。
会社や社長、管理職は社員に文句を言えばいいし、社員も会社や管理職、社長に文句を言えばいいのです。

上記の事はともかく、サラリーマンという人生はとても幸せですし、尊敬できると思っています。
これは僕がサラリーマンでも、起業しても絶対に変わりません。
起業して、尊敬できるサラリーマンの方と一緒に仕事ができる・・。とてもすばらしいことですね。

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