2004年11月19日
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僕は言葉におもいやりがありません。
性格もおもいやりがありませんが、言葉は特にそう思います。

ちなみに、ここに書いている文章にも思いやりが無いのは明白です。


goo 辞書 の検索結果を引用しておきます。

おもいやり おもひ― 0 【思い▽遣り】
(1)その人の身になって考えること。察して気遣うこと。同情。
「―のない仕打ち」
(2)遠くから思うこと。想像。推量。
「―異なることなき閨のうちに/源氏(帚木)」
(3)思いめぐらすこと。思慮。考え。
「いにしへのすきは、―少なきほどのあやまちに/源氏(薄雲)」
三省堂提供「大辞林 第二版」より


(1) が僕には足りないんですね。

なぜそう思うのか。

僕もこの年齢になる中で、少しは「死」を体験してきました。
身内であったり、親戚であったり知り合いであったり。。。

しかし、僕が「死」について誰かと会話をすると、絶対に意見の一致はありません。
一緒になって、悲しんであげられることができればいいのでしょうが、
それもできません。

そのため、友人に不幸があったとしても、僕はできるだけそのことを話題にしないのです。
相手が悲しんでいて、引きずっているようであれば会うことを避けます。
これは僕も相手も傷つかないための一種の防衛です。


さて、話題にするべきか悩んだのですが、書いておきます。(メモ程度)
僕の友人にはウツ病の人が何人かいます。僕自身も正常時とウツ的な精神状態を
行ったり来たりしているので(ごく軽症ですが)、ウツ病の辛さはある程度分かります。

会社の同期でも、一人ウツ病になってしまった人がいて、「今日で最後なんだ」
ということでした。

僕は、その同期がうつ病になったことを一番最初に察知して、医者に行くように、薬を飲むように勧めました。
そして、3・4ヶ月が過ぎて、本日の結果となったのです。とても残念です。

うつ病の状態で、会社や学校を辞めるとかなりの確実で社会に復帰することが難しくなるように感じます。
薬を飲みながら、アルバイトやボランティアなどの「その行為自体はユウウツでも社会的な接点」を持つことは
非常に重要だと思います。
「短い時間で決して無理じゃない範囲で継続的な活動をするべきである」と言う趣旨の発言をしました。

もう少し言葉を正確に描写すると、
「もしこのまま会社辞めて、家にずっと居ることになると、絶対に社会に復帰できなくなるから、
バイトでもなんでも探して、かなり精神的にはしんどいと思うけど、社会との接点を切らないようにね。
もし社会との接点が切れたら、絶対社会に復帰できなくなっちゃうから」

といった感じでしょうか。

そして後から別の同期から注意が。
「『絶対』って表現を使ってたけど、お前はそんなに偉いのか?あんな何もかも知ってるような
決め付けて言うのはどうなんだよ?俺はそういうのきらいなんだけど」
と。

やや口調が強い感じで言われ、僕に対して「ムカついている」ことはよく理解できました。

その注意をしてきてくれた同期が、ウツに対してどの程度の知識や経験があるのかは分かりません。
しかし、ウツというのは精神的な病気であり、風邪と大きく区別して考える必要はありません。
風邪を引いてる友達に対して、「早く帰って寝ときなよ。そんな働いてたら絶対風邪良くならないから」
というのは強く伝えていることになるのでしょうか。

精神に起因する病気に対し、深層にある差別的な取り扱いを暗に示しているような気がします。

だから僕は、「死」とか「お金」などの、思いやりが必要な会話に対して
話をするのは苦手なのです。


stock_value at 14:05│Comments(0)TrackBack(0)考え:04〜07年 

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