考え:04〜07年

2009年07月13日
脚立はプライベートではあまり使いません。というかまったく使いません。
しかし仕事では、使っている場面を目撃することがよくあります。

ここで脚立の一番上の部分=天板は乗ってはいけないことになっています。
天板が危険とはとても思えないのですが、乗ることによって危険というよりも、乗った不安定な状態で作業することがとても危険なのだと思います。

たしかに事故が多く発生しているようですし、安全については、十分以上に注意しなければなりません。

にしても、乗れないようにすることはできないんですかね?そうしたらハシゴになっちゃうのかな・・・

参考

高所作業における安全作業と労働安全衛生規則:財団法人省エネルギーセンター

ドクター住まい



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2007年12月24日
評価されるというのは、考え方によっては横から口を挟むとか、面倒な意識として考えられてしまいます。
実際そういう面倒な事も多いのですが、たとえ面倒であっても、評価を意識する必要があると考えています。

もちろんいい評価の場合もあれば、悪い評価の場合もあります。この場合は批判とも考えられるでしょう。たとえ否定的な意見を言われたとしても、次からの評価を避けてはいけません。
もちろん評価をする方としては、なるべく批判にならないように気をつける必要があります。性格的な事もあるので、何とも言えませんが、批判が多い人でもなるべく避けないようにしたいと考えています。

評価を受けるのは、説明をしなければならないと言うことで面倒です。また、自分がベストだと思っていた案や成果物については、横からの意見というのは時として煩わしく感じると思います。
実際完成度が高いものについては、ほとんど言いがかりのような意見やアドバイスが出てくることも多く、情報の取捨をしなければなりません。


例えば仕事の場合、個人プレーが中心の人と、グループが中心の人では、進め方が全然違います。
グループで仕事をする場合、常にグループの中で評価や意見にさらされる事になります。それは他者に対して、わかりやすく伝える事にもつながりますし、協力しながら円滑に進む事にもつながります。
逆に個人プレーが中心の人だと、何をしているのかわからない。でも成果はそこそこ出ている。ということになります。

僕はたとえ効率が悪くなったとしても、グループでの仕事 → 評価や意見 という循環がとても大切だと思います。

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2007年12月23日
新人だった頃、ほとんどすべての行動に対して、評価されていたように思います。それは「自分が行ったこと」のみではなく、何をどのようにして行うのか、発言や考え方それらすべてが評価の対象でした。

もちろん評価する側の考えとしても、少しでもミスを減らすことだったり、考え方も含めて指導しなければならないので、それは当然の事だと思います。

そしてそのような状態はとても苦痛でした。やり方を教えられるならともかく、考え方や発想の方法についての指導は何とも言えないものです。

年齢とともに経験を積むようになると、結果についての評価が多くなってきました。そしてその課程については、あまり問われなくなりました。もちろん結果さえ出せば、その方法については問われないというのは合理的な事だと思います。
一方でそれは説明責任に対する逃げの行為にも思います。

何かをする上で、その理由は明確な方が、色々とメリットが多くあります。成功しても失敗しても振り返ることが可能ですし、失敗しそう、成功しそうという雰囲気を感じることができます。
その明確な考えを持つと言うことは、ある程度説明ができるとも言い換えられると思います。

結果さえだせば、、、という考えでも結局は考えてなければ結果は出せないでしょうし、結果が出なかった説明をする必要があります。

イレギュラーな方法で結果を求めた場合などは、確かに説明がし難いことも多いのですが、常に堂々と説明をできるように心がけたいと思います。

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2007年12月02日
僕は正直な事を言えば、高齢者の雇用にあまり積極的ではない意識を持っています。少しずつ変化があるのは事実ですが、まだまだ抵抗があるのも事実です。

高齢者というのは、50代ぐらいからのことをイメージしています。生活を営む上での高齢者という事ではなくて、仕事の上で、年輩になってくる、そのようなイメージが出てくる年齢ということです。

なぜ高齢者に対して、抵抗があるのかといえば、
・新規性、創造性
・処理スピード
・覚えの早さ
・過去の経験
などからです。

新規性・創造性については、過去の経験を基に色々な事を考えるのであれば、それが目新しい可能性は少ないと思います。そうなると僕としては一歩引いてしまうように思います。

スピードは仕方のない部分ですが、年齢とともに遅くなってくると言うこで。体力的な事を考えると仕方ない部分ではありますが。

仕事を覚えるのはやはり遅いと思います。こちらも仕方のない部分だとは思います。

過去の経験もいい方向で生かせればいいのですが、それが意見を変えないために使われてしまうと問題があるように感じます。

そのほか給与、待遇面なども。。

そしてメリット
・基本的に真面目
・新しいことでも無難に処理できる
・丁寧
・雰囲気

真面目だと思います。やはり「若い人について行くには」という意識を持っている人だと本当によく勉強して反復するので、覚えるのが遅かったとしても、深かったり知識が周辺に及んでいたりします。このあたりはすごいことだと思います。

新しいこと。。といっても、ほとんどの場合は既知の組み合わせだったりします。その場合に何かをお願いしても、一から教えなくてもちゃんと処理してもらえる場合があります。
もちろん、意図と違う可能性もあるので慎重に。

丁寧。これはスピードとは逆の事ですが、仕事が丁寧なことが多いように思います。そして仕事では、正確なことが求められる事も多いので、これについてはとても重要な事だと思います。

雰囲気も年輩の方独特の物があります。いい方向にも悪い方向にも印象を動かしてしまいますが、武器になればとても強い事だと思います。

ということで、まだまだ完全には受け入れられてないのですが、少しずつ頑張りたいと思います。

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2007年11月21日
仕事柄なのか、あまり裁判という表現に驚きません。
あくまで交渉の延長が裁判という手段になるだけで、裁判=悪いことをしたという実感があまり無いのです。

もちろん、刑事系の裁判では犯罪行為が疑われる事が理由として裁判でしょうから、この場合はまた別です。拘束もつらいと思いますし。

一方で民事の場合は交渉の延長です。
ただし、一般的な認識として、交渉の最終手段としての裁判です。弁護士の方などは、途中手段としての裁判であったり、「最終」が一般人の認識以上に早い事は考えられますけど。


何件か友人だったり会社が関与している裁判の話を聞きました。客観的に近しい友人や会社に問題があるように思うこともありますし、その逆もあります。

どちらにせよ裁判は初めての人には必要以上のプレッシャーを与えるようです。


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2007年11月13日
※時系列が変ですが、この記事を書いているのは2008年なので特に気にしないで下さい。

先日「メールでのトラブル」という記事を3回に分けて書きました。
そのままですが、僕がメールの内容について、配慮が足りなかったために関係をこじらせてしまいました。

それについて、非常に簡潔でわかりやすいコメントをいただきましたので、記事として書きたいと思います。

コメントの内容としては、確かにその通りで「指摘した事項についての説明が欲しかった」ということだと思います。

もちろん、このとき1〜2時間ぐらい打ち合わせをして、内容的な事、現状について十分に伝えたつもりではありました。しかしながら、口頭では誤解も生じるでしょうし、文章でしっかりと状況をつかみたかったのだと思います。
この点について、僕としてはこのとき非常に忙しいことがあって、ついつい説明がおろそかになってしまっていました。

そしてこちらの事情として、引っかき回される事への抵抗というのも確かにありました。
社内的な事情として
・稼働率の低下については極端に厳しい
・安価なコストの追求
・責任の範囲が広い
・運用の変更に対する人員の配置

それ以外にも
・現状について不満が無いこと
・おそらく価格とセキュリティがベストな状況になっているという自信

もちろん僕自身に原因があるので、転嫁するつもりは全くありません。ただ、稼働率については本当にシビアで、毎度のごとく胃が痛い思いをしていました。特にビジネスタイムのトラブルは許されませんでした。

そのほか責任の範囲が広いので、変更→配布→サポート という一連のサイクルをすべて自分で行う必要があります。特に設定変更については、非常に大きな労力が必要で、実質的に数日間は仕事になりません。なので、特に引っかき回される事については、必要以上にデリケートでした。


また、とてもびっくりした事で、なおかつ僕がうかつだったのが、「欲求が無いのに変更を求めてくる」ところでした。今まで必ず不満だとかがキッカケとなってサービスへの需要がありました。そして提案について合う部分と合わない部分をすりあわせつつ購入になるのが普通だと考えていました。

今回は終始一貫して、現状の環境に不満が無いことを伝えていました。不満があるのはあくまでアプリケーションについてであって、そのアプリケーションへのアクセス手段(ネットワーク構成)は全く不満がなかったのです。

しかしいきなりネットワークについてのメールだったのでビックリして、「そういった提案が必要ない理由」を説明してしまいました。これも問題でした。

ただ怖いのは、コレを教訓にして次は・・・としたいのですが、きっと次も同じようなミスをしそうです。

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2007年11月11日
仕事の関係でもそうですし、僕自身の趣味の事もあって、PC に関する本を読むことが多々あります。最近は知識もついてきたので、あまり初心者向けの本は買いませんが、中級程度の本などについてはたまに買います。

もちろんそれ以上に立ち読みもしています。

で、その時に "こういう本は買わない" というのをまとめておきたいと思います。

・字が大きい
・インストール方法から紹介されている
・画面キャプチャが多すぎる
・config が全文掲載されている
・仕組みについて書かれていない
・背景の記載が薄い

字が大きい本は、読みやすくわかりやすい事も多いのですが、それ以上にページを稼いでいるのかという疑問が出てしまいます。そしてページ数が増えれば、インパクトも価格も大きくなりますからね。

インストール方法から書かれている本が僕は大嫌いです。Windows にしても、Linux にしても、セットアップを実行するところや、.sh を叩くところなどは、基本的な部分だと思います。そこを解説する必要はまったくありません。

もちろん、インストール途中でしなければならない設定について、キャプチャとともに説明を書くのは大切な事です。"ようこそ" がいらないだけです。

上記に続き、キャプチャの多い本も嫌いです。読み飛ばす可能性が高くなってしまいますし、あまり意味が無いように思います。
もちろん、普段なかなか入手できないようなソフトウェアとか、ルータについてキャプチャがあるのは理解を深めます。逆に Apache だとかについては、あまりキャプチャが意味をなさないと思います。

config の過剰な掲載も嫌いです。特に linux 系のソフトウェアは config が非常に重要です。だからといって、すべてを掲載する事に意味はないと思います。もちろんこれについても、知識を深めるために、適度な量は必要です。しかしながら、全文は必要ありません。しかも行間なども、config 用に調整しないと、読みにくくなってしまいます。
もちろんプログラム系の本であれば、ソースをきれいに掲載するのは必要な事だと思います。

仕組みについて書かれていない本も非常に多くあります。たとえば apache などについて、その本の通り作業すれば Webサーバとしての機能は果たすかもしれません。しかしトラブルが起きたり、自分で設定を変更しようと思っても、結局はその仕組みとか背景を理解できていないので、できなくなってしまいます。
多少複雑な内容になったとしても、次につながるように書かれている本の方が好きです。

上記に関連し、技術的な背景の記載が無い場合もあります。特にネットワーク系の本は歴史的な背景を追うと、非常にわかりやすく、また次につながりやすいのですが、初心者に向けて書かれた本などによっては作業マニュアルになってしまっています。

ということで、上記のような本をさけつつ、いい本を探したいと思います。オライリーとかいいのかな?

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